出土品ギャラリー
岩手の土偶
中期初めの土偶
塩ケ森遺跡(雫石町)
手足はついていますが、板状で、立ちません。
後期の土偶
長倉I遺跡(軽米町)
手足をはっきりと表現するようになり、立体的な作りです。写実的なものが多く見られます。
左側の土偶は体の真ん中で折れていますが、アスファルトで補修されています。
晩期の遮光器土偶たち
左から大芦I遺跡(久慈市)、手代森遺跡(盛岡市)、大芦I遺跡(久慈市)、相ノ沢遺跡(一関市)、長倉I遺跡(軽米町)
小形のものと大形のものがあります。大形は中空でていねいに作られています。当時の人たちにとっては、たいへん価値のあるものだったに違いありません。
遮光器土偶の名称は目の部分が、北方民族が使う雪めがね(雪の反射光を遮るサングラス)に似ていることから付けられましたが、現在では当時流行した目の表現であることがわかっています。
※このホームページは公益財団法人岩手県文化振興事業団埋蔵文化財センターが、調査した遺跡の情報を提供しています。 掲載されている情報の無断転載はできません。