中埣Ⅲ遺跡
いわて調査情報/2024年10月2日現在
DATA
※この遺跡の調査は終了いたしました。
遺跡名 | 中埣Ⅲ(なかぞね3)遺跡 |
所在地 | 岩手県気仙郡住田町上有住字中埣地内 |
事務所 | 080-8215-0988 |
調査期間 | 令和6年4月8日~9月30日 |
時代 | 縄文時代 |
検出遺構 | 竪穴住居 掘立柱建物 土坑 埋設土器 |
出土遺物 | 縄文土器 土偶 石器 石棒など |
先週、ドローンを使って上空から、調査区を撮影してもらいました。
上空からみて分かるとおり、中埣Ⅲ遺跡は山々に囲まれ、縄文人にとって暮らしやすい土地だっただろうと思います。
中埣Ⅲ遺跡の調査は今月で終了です。今後は調査で得られた成果から、さらに遺跡のことを検討していきたいと思います。
(令和6年9月30日現在)
先週、まだ掘り下げていなかった包含層を掘ったところ、完形の注口土器が出土しました。
中埣Ⅲ遺跡では石器はたくさん出土しますが、土器が少なかったので、突然現れた注口土器を見て、野外作業員さん達が大喜びしていました。 (令和6年9月24日現在)
地面に深鉢形土器を埋めた「埋設土器」が見つかりました。
見つかったときは上の写真のように、地面から土器の縁が丸く顔を出した程度ですが、この埋設土器の片側半分を大きく掘り下げたところ、高さ40cmの大きな深鉢形土器であることが分かりました。
この土器は口の部分が壊れてなくなっており、本来はもっと大きな土器だったと考えます。
中埣Ⅲ遺跡では、他にも埋設土器が幾つか見つかっています。
(令和6年9月17日現在)
写真は、4本の柱で構成される掘立柱建物と考えています。
建物は一辺3mのほぼ正方形で、柱穴は直径50cm、深さ50cm以上の大きさです。
中埣Ⅲ遺跡からは竪穴住居の他に、このような掘立柱建物が多数見つかっています。なお出土した縄文土器から、竪穴住居よりも掘立柱建物の方が少しだけ古い時代に作られたと推測しています。
また各柱穴には、たくさんの大きな石が詰め込めれていました(下写真)。
これは建物を廃棄する際、柱を抜き、石を詰めて埋めたのではないかと推測しています。
(令和6年9月9日)
7月22日に紹介した竪穴住居の隣から、また新たに竪穴住居1棟が見つかりました。
今回見つかった竪穴住居は大きさが直径約3mと前回紹介した竪穴住居よりもかなり小さく、また柱穴も規則的に並んでいませんが、床面の中央には石囲炉が付いています。
この石囲炉の周辺からはたくさんの縄文土器も出土しました。
(令和6年8月26日現在)
角張った棒状の石器がまっすぐ立った状態で出土しました。
故意に埋められた形跡がありましたが、何のためにこのような状態で置かれているかは、これから考えてみたいと思います。
この石器は長さ30cm以上(片側が割れて消失)で、四方の角を故意に割ったり、敲いて整形しています。石棒を作ろうとしてるのではないかと推測していますが、はっきりとは分かりません。このことについてもこれから検討したいと思います。
(令和6年8月19日現在)
5月27日、6月24日に紹介した、大きな配石遺構と考えていた遺構は、その内側から炉や柱穴が見つかり、配石遺構ではなく、「竪穴住居」であることが分かりました。
住居とは言え、柱の大きさが直径1.0~1.2m、深さ1.0~1.6mと、通常の柱穴とは思えない大きさで、この遺構が、はたして人が住むための住居であったか疑問が残りました。
また配石遺構と考えていた石列は、南側の壁際に並んだものでした。
石はすべて住居のやや外側に並んでおり、一部、住居の壁を壊しています。なぜこのような石列が残されたのかも含め、もう少し検討してみたいと思います。 (令和6年8月5日現在)
大きさ約1.5m、深さ約50cmの土坑から縄文土器2点が出土しました(写真1、2、3)。
土坑は底面がやや広い形をしており、縄文時代の墓ではないかと考えています。
出土した土器はどちらも完形ではありませんが、底面から出土しており、この土坑が墓であるならば、土器は埋葬者と一緒に埋められた可能性があると考えています。
(令和6年7月29日現在)
前回紹介した石棒が出土したのは、竪穴住居でした。
竪穴住居は直径約6mの円形で、中央に80cm大の石囲炉があり、その周辺には柱穴が並びます。石囲炉が2基ありますが、この竪穴住居は1回建て替えをしており、建て替え前の古い石囲炉が残ったのではないかと考えています。
石棒は石囲炉周辺の床面から出土しています。
(令和6年7月22日現在)
中埣Ⅲ遺跡では石棒が多く出土しており、これまでも幾つか紹介してきました。
先週、再び石棒が出土しました。
長さは20cm弱で、片側が折れています。まるで矢印の「←」のような形をしており、全体が黒光りするほど磨かれています。
この石棒がどこから出土したのかは・・・。
次回紹介します。 (令和6年7月16日現在)
先週、紹介した土坑よりも一回り大きい土坑です。
開口部よりも底面の方がやや広くなっています。深さは30cmありますが、本来はもっと深かったと推測しています。
また土層を確認したところ、この土坑は自然にではなく、人の手によって埋められたのではないかと考えられる形跡が確認できました。
おそらくお墓ではないかと考えますが、人骨などは見つかりませんでした。
(令和6年7月8日現在)
遺構の精査を始めています。
直径80cmのやや浅い土坑を掘ったところ、底面から石棒が出土しました。
出土状況からみて、わざとこの土坑に置いて埋めたと考えます(写真下)。
石棒は長さ40cmです。
片側が折れてなくなっているので、本来はもっと長かったと推測されます。
(令和6年7月1日現在)
ドローンを使って上空から写真撮影を行いました。
写真1は前回写真で紹介した配石を上空から撮影したものです。
広い範囲に配石が広がっていることが分かります。
また写真2は5月27日に紹介した大きな配石遺構を上空から撮影したものです。
残念ながら、一部は壊されてなくなっていますが、円を描くように石が並んでいます。円の直径は8.4mです。
(令和6年6月24日現在)
遺物包含層を掘り下げる作業が終了しました。
写真は調査区の北西側を撮影したものですが、この範囲からは、以前紹介したような配石が多く見つかっています。配石の下には60~80cmの大きさの土坑があり、これらは縄文時代のお墓ではないかと考えています。
今後はこの土坑を調査していきます。
(令和6年6月17日現在)
遺物包含層を掘り下げる作業も進めており、先週は石棒が出土しました。
この石棒は長さが30cm以上で、両端が割れているため、本来はもっと長いものであったと考えられます。
(令和6年6月3日現在)
配石遺構と考えられる遺構は他にも見つかっており、前回紹介した楕円形の他に、やや歪な長方形(?)の配石遺構があります。
また大きく弧状に石を並べた大きな配石遺構も見つかりました。
(令和6年5月27日現在)
こぶし大の石を円形に並べた遺構(「配石遺構」と呼んでいます)が見つかりました。
大きさは、直径約50cm程度とやや小さいものですが、同じ大きさ、形の配石遺構が2~3基ありそうです。
この配石遺構が作られた時代は縄文時代晩期と考えています。
(令和6年5月13日現在)
遺物包含層を掘る作業が、ある程度進んだので、鋤簾(じょれん)を使って遺構検出作業(遺構を探す作業)も行っています。
土坑などの遺構と考えられる場所には白線を引きました。
また遺物包含層の掘り下げも進めており、先週は小さな壺の破片が出土しました。
この壺は下半分がありませんが、あっても大きさは10cm程度と推測しています。
(令和6年4月30日現在)
引き続き、縄文時代の遺物包含層を掘り下げています。包含層の深さは10~50cmで、縄文土器や石器などが多数出土しています。
土器は小さな破片が多いですが、下の写真のような大きな破片も出土しますので、作業員さんは丁寧に掘り進めています。
(令和6年4月22日現在)
先週から調査を開始しました。
縄文時代の遺物包含層を掘り下げるところからスタートです。
長さ20cmの石棒が出土しています。
(令和6年4月15日現在)
※このホームページは公益財団法人岩手県文化振興事業団埋蔵文化財センターが、調査した遺跡の情報を提供しています。 掲載されている情報の無断転載はできません。