中平遺跡
いわて調査情報/2022年10月31日現在
DATA
※この遺跡の調査は終了いたしました。
遺跡名 | 中平(なかたい)遺跡 |
所在地 | 岩手県九戸郡野田村大字野田22地割138番1ほか |
事務所 | 080-1668-0103 |
調査期間 | 令和4年4月7日~11月30日 |
時代 | 縄文時代 古代(奈良時代 平安時代) |
検出遺構 | 竪穴住居 掘立柱建物 落とし穴 土坑 |
出土遺物 | 縄文土器 石器 土師器 須恵器 鉄製品 鉄滓 羽口 コハク |
調査も終盤を迎え、8月に続き、もう一度、上空から調査区全体の写真撮影を行いました。
今回調査した範囲は、上の写真の中央、茶色の土が見えている範囲ですが、その右隣に写っている学校(野田中学校)のグランドよりも、広い面積を調査したことが分かります。
また、これまで紹介してきた竪穴住居や落とし穴などは、この調査全体に広がっていました。
2箇年の調査で縄文時代・古代の竪穴住居が80棟以上、縄文時代の落とし穴は約70基などが見つかり、複数の時代に大きな集落や狩り場があったことが分かりました。
(令和4年10月31日現在)
竪穴住居と長方形の土坑(?)、円形の土坑が重複して見つかりました。
全て古代の遺構と考えていますが、古代で、これほど複数の遺構が重複するのも珍しいことです。
また長方形の土坑には、床面から壁際にかけて、焼土と炭化材が広く残っており、この場所で何かを燃やしていたことがうかがえます。
これまでいくつかの竪穴住居を紹介してきましたが、そのほとんどから、火を使う作業を行った痕跡が見受けられました。このことは、中平遺跡の性格を考える上で、大きなキーポイントになるかもしれません。
(令和4年10月17日現在)
写真は前回紹介した場所で調査した竪穴住居です。
これまで紹介してきた竪穴住居と同様に、カマドは石を組んで作られています。
カマドとは別に床面に火を使った痕跡(赤くなった範囲)が複数箇所見受けられ、この住居も何かの作業を行っていたと考えます。
また竪穴住居からは石帯(巡方)の破片が出しました。
石帯は貴族(官人)が身につける腰帯装身具の一つで、非常に貴重なものです。
(令和4年10月3日現在)
今月調査している場所を、少し高いところから写真撮影しました。
狭い場所に竪穴住居が密集しているのが分かります。
この場所の竪穴住居は非常に変わったものが多く、例えば下の写真の住居では、床面中央にある円形の掘り込みの底面や、掘り込み周辺の床面で、焼土が大きく広がるのを確認しました。
前回紹介した竪穴住居と同様に、何らかの工房と思われますが、かなり強い火を使っていたものと考えられます。
(令和4年9月20日現在)
これまでとは別の場所を調査しています。
見つかっているのは、古代の竪穴住居で、これまでの調査成果と合わせると、古代の集落が大きく広がっていることが分かります。
下の写真は一辺約2.5mの正方形をした、小型の竪穴住居です。
写真の奥側に半円状の突出部が付きますが、カマドの煙道ではないようです。大きな特徴は、床面と突出部に3箇所の炉があることで、したがってこの遺構は、火を使う作業を行う工房だったかもしれません。
(令和4年9月5日現在)
正方形や長方形をした竪穴住居がいくつか見つかっています。
床には火を焚いた痕跡などはなく、また柱穴も見つからないか、あるいは写真のように不規則に並ぶ程度ですが、壁は30~80cmほど残っていますので、非常に立派な住居と言えます。
出土遺物はほとんど無かったですが、縄文時代前期の初め頃の竪穴住居と推測しています。
(令和4年8月22日現在)
先週、調査区全体を空から写真撮影しました。
5月に紹介した上空からの写真と比べてみると、調査している範囲が5月よりも大きく広がったことが分かってもらえると思います。
下の写真は6月以降に紹介してきた遺構を上空から撮影したものです。
平安時代の竪穴住居や掘立柱建物、また縄文時代の落とし穴が狭い場所に密集しています。
まだ紹介していませんが、この場所からは縄文時代の竪穴住居も見つかっています。
(令和4年8月8日現在)
下の写真は、古代の竪穴住居で、これまで紹介してきた住居と同時期のものと考えています。
この竪穴住居のカマドをアップで撮影したものです。
カマドは、大きな石を組み合わせ、また少し潰れていますが、天井として大きな石を載せていました。
(令和4年7月25日現在)
掘立柱建物が見つかりました。
建物は9本の柱で構成され、平安時代の竪穴住居よりも大きいのが特徴です。遺構の重複から、竪穴住居よりもやや古い可能性があります。(令和4年7月11日現在)
落とし穴もたくさん確認され、調査を進めています。落とし穴は縄文時代のものと考えており、前回までに紹介した古代の竪穴住居と重なっていることもあります。
非常に深い遺構で、作業員さんも掘るのにひと苦労です。
(令和4年6月27日現在)
前回とは別の場所を調査していますが、同じように古代の竪穴住居が見つかっています。
写真の竪穴住居は、5m四方で、それほど大きくありませんが、壁が約1mも残っている、非常に深い住居です。
この住居、実は昭和40年、41年に岩手大学元教授の草間俊一先生と野田村教育委員会により調査されており、草間先生の論文でも紹介されています。 (令和4年6月13日現在)
先週、調査区の東側を空から写真撮影しました。上空から見ると、中平遺跡が海に近いことが分かります。
調査が進んだ2棟の竪穴住居を撮影したもので、左は4月に紹介した竪穴住居です。
どちらの竪穴住居もカマドが大きいのが特徴で、また袖から煙道にかけて、大きな石を並べ、さらに平らな石を天井としてのせていました。 (令和4年5月30日現在)
古代の竪穴住居を調査しています。
見つかった竪穴住居のなかには、大きな石を組んでカマドを構築しているものがありました。
(令和4年5月16日現在)
四角く、黒く見える箇所は古代(奈良時代・平安時代)の竪穴住居と考えられ、複数確認されています。
中でも写真の住居は長辺8m、短辺7mほどの大型の竪穴住居で、写っている人と比べてもその大きさがよくわかります。
遺物に注意しながら、掘り下げを進めています。
(令和4年4月28日現在)
4月7日(木)から調査を開始しました。昨年度からの継続で、昨年の調査箇所の周辺を調査します。
前回の調査では縄文時代と平安時代の集落が見つかっており、今回の調査区まで広がっていることが予想されます。
現在試掘を行い、遺構の広がりを確かめています。
(令和4年4月15日現在)
※このホームページは公益財団法人岩手県文化振興事業団埋蔵文化財センターが、調査した遺跡の情報を提供しています。 掲載されている情報の無断転載はできません。