室内整理
いわて調査情報/2020年10月27日現在
DATA
遺跡名 | 室内整理 |
所在地 | 岩手県盛岡市下飯岡11地割185番地 |
事務所 | 019-638-9001 |
調査期間 | |
時代 | |
検出遺構 | |
出土遺物 |
沢田Ⅲ遺跡 (室内整理)
沢田Ⅲ遺跡は、平成25・26年の2箇年にわたり調査を行いました。その結果、縄文時代前期・中期の集落跡、古墳時代後期から奈良時代の集落跡、平安時代後期の鉄生産関連遺構群などが見つかりました。また、縄文土器、土師器、須恵器、中世陶器、土製品、石器、石製品、金属製品、銭貨、鉄滓類、動物遺存体、植物遺存体など多量の遺物が出土しました。
現在の山田湾の海岸線から北側に直線距離約0.8㎞に位置する沢田Ⅲ遺跡は、北側から延びる山稜と南側から広がる低地の境界付近に立地し、背後に広がる山と前面に広がる海から豊富な「山の幸」「海の幸」を入手できる地点でした。このことが大規模な集落や生産活動が営まれた基盤になったと推測されます。
調査・整理で得られた膨大な情報を整理し、原稿・表・図版・写真図版等を作成しました。報告書は今年度刊行される予定です。
沢田Ⅲ遺跡 (室内整理)
沢田Ⅲ遺跡では、中世・近世の遺物として陶器類が数点出土しています。
陶器は渥美(あつみ)(愛知県)の甕(かめ)の破片があります。口縁部の長さが短く、端部が丸味を帯びる形状から、12世紀終わり頃のものと考えられます。他にも水沼(宮城県)と推定される陶器や、須恵器系陶器なども出土しています。
沢田Ⅲ遺跡では鉄生産に関連する炉跡や炭窯跡が、まとまって見つかっています。年代観を検討できる遺物は出土していませんが、実施した放射性炭素年代測定では、平安時代後半11~12世紀代の測定値が提示されています。
岩手県沿岸部では、これまでも12世紀の国産陶器、中国産磁器、かわらけ、和鏡(わきょう)などの金属製品が、宮古市や釜石市など複数の遺跡から出土しています。沢田Ⅲ遺跡の今回の資料は、これらの資料とあわせて、12世紀奥州藤原氏の時代における岩手県沿岸部の様相を知ることのできる貴重な資料になりそうです。
沢田Ⅲ遺跡 (室内整理)
沢田Ⅲ遺跡では縄文時代前期・中期の石製品もたくさん出土しています。
前期の石製品に玦状(けつじょう)耳飾があります。中国の装飾品である玉器(ぎょくき)で、環状の中央に穴があき、外側一箇所に切れ込みがある「玦」に形が似ていることから名付けられたものです。折れた箇所に補修孔を持つものもあります。大切に使用されていたようです。
中期の石製品には石棒や円礫があります。大型の石棒は、欠損部分が多いですが、長さ約46㎝、径約20㎝です。2個の円礫は、径27~21㎝、重さ約16~9㎏です。いずれも中期末葉の竪穴住居内の複式炉の位置と反対側になる奥壁側から出土しました。壁に立てかけられた状態で見つかった石棒、床面に2個並んだ状態で見つかった円礫は、ともに竪穴住居内における空間利用の状態を示唆する貴重な事例です。欠損品ですが、頭部を精緻につくりだした径8㎜の小型の石棒も出土しています。
(令和2年7月20日現在)
頁岩製の小型の石棒
沢田Ⅲ遺跡 (室内整理)
沢田Ⅲ遺跡では土器・石器とともに、たくさんの土製品・石製品が出土しています。時期は、縄文時代前期・中期のものと古代のものがあります。
縄文時代の土製品では、三角壔(さんかくとう)形土製品が2点出土しています。三角壔とは「側面が三角形で横に長い立体」のことです。いずれも破片ですが、長軸となる横方向に貫通孔(かんつうこう)の一部を確認できたことから、三角壔形土製品の一部と判断しました。各面に施された円形の刺突列の文様から、時期は中期末葉と推測されます。用途不明の謎の土製品ですが、置くことを意識したつくりになっています。
キノコ形土製品も傘部分の破片など数点が出土しています。一緒に出土した土器から、時期は中期後葉から末葉と推測されます。その他、板状や環状、円盤状など様々な形の土製品が出土しており、当該時期の土製品の様相を知ることのできる貴重な資料になりそうです。
(令和2年6月17日現在)
※このホームページは公益財団法人岩手県文化振興事業団埋蔵文化財センターが、調査した遺跡の情報を提供しています。 掲載されている情報の無断転載はできません。