室内整理
いわて調査情報/2019年3月26日現在
DATA
遺跡名 | 埋蔵文化財センター |
所在地 | 岩手県盛岡市下飯岡11地割185番地 |
事務所 | 019-638-9001 |
調査期間 | |
時代 | |
検出遺構 | |
出土遺物 |
沢田Ⅲ遺跡 (室内整理)
沢田Ⅲ遺跡の古代の竪穴住居跡から土師器・須恵器が出土しています。カマド周辺や壁際から出土した事例が多く、坏や甕(かめ)を主体とし、椀・高坏・鉢・壺、ミニチュア土器などがあります。時期は、大きく2時期に分かれるようです。
7世紀前半の土器群は、多くの坏・甕に段を持ち、甕の頸部には鋸歯文(きょしもん)が描かれます。赤色で線や格子目の文様を描く、赤彩土器(せきさいどき)も多く含まれます。調整はヘラミガキが多用されます。器の種類には甑(こしき)が伴います。土製の紡錘車(ぼうすいしゃ)も一緒に出土しています。
8世紀前半の土器群は、坏・甕の段は弱くなり、坏の形は丸底から平底になり、大きさも小さくなります。和銅開珎(わどうかいちん)3枚も一緒に出土しています。
これらの土器群が発信する情報を丁寧に読み解き、直線距離で約300m西側に位置する房の沢古墳群との係わりも視野に入れながら、沢田Ⅲ遺跡の古代の集落について、調査成果を報告書にまとめたいと考えています。
(平成31年3月26日現在)
高根遺跡(室内整理)
(平成31年3月25日現在)
間木戸Ⅰ遺跡 (室内整理)
間木戸Ⅰ遺跡では、鉄作りに関連した遺物もコンテナ約40箱分出土していますが、そのほとんどは鉄滓(てっさい)という鉄を作る際に出る不純物(辞書では「スラグ」とも書かれています)です。鉄作りには製鉄・精練・鍛冶などの工程があり、鉄滓はそれぞれの工程で異なる色や形で生成されます。つまり、出土した鉄滓を分類することで、遺跡内ではどの工程の作業を行っていたかを推定することができるのです。間木戸Ⅰ遺跡では残念ながら鍛冶炉が1基見つかっただけですが、製鉄や精練を行った際に出る鉄滓も出土していることから、かつてはこれらの工程を行った炉も存在していたと考えられます。
(平成31年2月28日現在)
高根遺跡 (室内整理)
高根遺跡では、これまでの野外調査で縄文時代の貯蔵穴と竪穴住居の覆土(フクド)を対象とした土壌洗浄を実施し、そこで得られた炭化種実の同定を外部機関に委託しています。
その結果、60,000個を上回る多量の炭化した種実が確認されました。
今回は試料の一部を写真でご紹介したいと思います。
1枚目の写真は「オニグルミ」・2枚目の写真は「クリ」です。
内訳としては圧倒的に堅果類が多く、オニグルミがかなりの割合を占めます。そのほかトチノキ・クリなどが確認されています。
(平成31年2月27日現在)
沢田Ⅲ遺跡 (室内整理)
古代の土製品に紡錘車(ぼうすいしゃ)と呼ばれるものがあります。糸を紡(つむ)ぐ道具の紡錘の部品で、糸を巻き取る軸にはめる弾み車の役割を持つ輪(紡錘車)の部分です。紡錘車の素材には、土製や石製、木製、金属製などがあります。
沢田Ⅲ遺跡の紡錘車はすべて土製で、上から見た円い形のほぼ中心に軸を通した孔(あな)があいています。横から見た形は、円錐形の頂部を切り離した台形状です。
近年の調査では、古墳時代後期から奈良時代(7世紀~8世紀前半)の集落跡とされる野田村蒲沢(がまさわ)遺跡、宮古市津軽石大森遺跡から、まとまって出土しています。鉄製の紡錘車は、鉄生産が盛んに行われる平安時代に普及しはじめます。素材は変わっても紡錘車の径は、ほぼ同じです。沢田Ⅲ遺跡の竪穴住居跡から出土した土製の紡錘車は、家内で糸を紡ぎ、布を織ったことや、集落が営まれた時期について、暗示しているようです。
(平成31年2月20日現在)
高根遺跡 (室内整理)
高根遺跡では先日、炭化材の肉眼鑑定をおこないました。その結果、中世の製鉄炉の地下構造材にはアカマツが多く使われていたこと、縄文時代の竪穴住居床面から見つかった材は、サワグルミ・クリであることが確認されました。
これらの樹種について、鑑定を担当して下さった阿部利吉先生(前岩手県木炭協会)から貴重なお話を伺いました。アカマツは刀鍛冶や風呂の燃料に使われることが多かったとのこと。アカマツで沸かした風呂のお湯は柔らかいのだそうです。いっぽう、クリは火が消えやすく、腐りにくい特性があるので、農家の建築材や枕木などに多く使われたのだといいます。
(平成31年1月30日現在)
沢田Ⅲ遺跡 (室内整理)
土師器(はじき)のなかに甑(こしき)と呼ばれる器があります。土師器の器種は、煮沸用の甕(かめ)、貯蔵用の壺、食膳具の椀や坏・皿などの組み合わせが多いのですが、稀に甑も出土します。蒸し器として、水を入れた甕の上に重ねて使われます。後に鍋釜の上に置いて用いた木製の蒸籠(せいろ)と同じ蒸し器です。形態には、完全に底を作った後に底面に蒸気を通す孔(あな)を多数設けるものや、底を作らないものなどがあります。
写真の甑は、沢田Ⅲ遺跡の竪穴住居跡のカマド付近から出土した7世紀前半から中頃の土器です。底が無く、底部付近には、簀の子(すのこ)を支える棒状の桟(さん)を渡すための一対の孔が設けられています。
(平成31年1月28日現在)
間木戸Ⅰ遺跡 (室内整理)
当センターでは、遺物実測図のトレースを、製図ペンを用いた手作業またはパソコンで行うデジタルトレースのいずれかで行っています。間木戸Ⅰ遺跡では現在デジタルトレースを行っており、今回はその手順を紹介します。(ペンを使ったトレースは高根遺跡の遺跡情報(2018年8月30日掲載)で紹介しています)。
デジタルトレースでは、まず実測図をスキャナーで取り込み、描画ソフトに配置します。
次に実測図の線に沿ってなぞっていきます。土器の輪郭や貼り付け、稜線など決められた太さで描き分けていきます。
必要な線を全てトレースした状態です。線がはみ出ていないか、線の太さは間違っていないかなど、下図を合わせながら確認します。
確認が終わったトレース図面は、必要に応じて断面の部分に色を塗ったり、底部の拓本を配置して完成となります。その後、掲載縮尺に縮小して割付用紙に配置していきます。
パソコンを使うか手作業で行うかの違いはありますが、線の太さを描き分けること、拓本を貼り込んでいくことなどの工程は、ペンを使ったトレースと基本的には変わりません。どちらを用いても報告書に正確な図面を掲載できるよう心掛けて作業していきます。
(平成31年1月7日現在)
長谷堂貝塚 (室内整理)
新年にちなみ、干支の話題を一つ。
長谷堂貝塚ではイノシシの骨が多量に出土しています。4千年余り前の縄文人にとって、食料としてはもとより、毛皮や骨も重要な資源だったことでしょう。
この中でも目を引くのは牙(きば)の利用です。1枚目の写真は左が素材の上顎犬歯(じょうがくけんし)で、右は穴を開け垂飾品に加工したもの。2枚目は同じく上顎側切歯(そくせっし)とその加工品です。イノシシの繁殖力、生命力にあやかろうとしたのかもしれません。
(平成31年1月4日現在)
高根遺跡 (室内整理)
高根遺跡ではいろいろな縄文土器が見つかっています。今回はその中から、「北陸系の土器」についてご紹介します。写真の6点は、縄文時代中期の包含層(土器捨て場)から出土しています。他の土器には見られない文様の特徴から、5千年ほど前の北陸地方に分布する新崎(にんざき)式土器だとわかりました。
(写真上・下)細い竹の管を縦半分に割ったような道具を押し付けて、カマボコ状の断面を持った模様(半隆起線文)を付けています。その中に描かれた細かい格子目文との組み合わせで文様が表現されています。
日本海側から舟で、もしくは陸路ではるばる宮古までやってきたのでしょう。北陸地方と岩手をつなぐ人の移動やモノの動きがあったことを示す事例といえます。
(平成30年12月25日現在)
石峠Ⅱ遺跡 (室内整理)
今回は縄文時代の石製品の一部をご紹介します。右側4点は装飾品です。穴を開けて紐などが通せるようになっています。中央は石棒の一部です。石峠Ⅱ遺跡では完全な形のものは出土せず、このような部分的なものが数点見つかっているに過ぎません。左側2点は斧の形をしたものです。下は非常に小さく2㎝程しかありません。
(平成30年12月17日現在)
沢田Ⅲ遺跡 (室内整理)
古代の土器の整理を継続しています。沢田Ⅲ遺跡から出土した土師器のなかに沈線で文様が描かれた土器があります。
甕(かめ)の頸部の上下を段で区画したなかに、二本の沈線で文様が描かれています。ぎざぎざに切り込まれた鋸の歯の形に見えることから、鋸歯文(きょしもん)と呼ばれています。一本の沈線で鋸歯文が描かれた小型のミニチュア土器もあります。いずれも外面はミガキの調整が施されています。他に斜めの格子目状の文様が頸部に描かれ、赤色で塗られた壺の破片もあります。
古墳時代後期(6世紀末~7世紀前半頃)の土器で、このような沈線の文様は東北地方北部に特徴的に見られるものです。
(平成30年12月13日現在)
石峠Ⅱ遺跡 (室内整理)
今回は縄文時代の土製品の一部をご紹介します。1枚目の写真はミニチュア土器と呼ばれるものです。形は縄文土器と同じですが、高さが3~5㎝程しかなく、容器として使うには小さすぎる土器です。2枚目の写真は土製の鈴、3枚目の写真は鈴のレントゲン写真です。壊れずに見つかったため、中の様子は分かりませんが、レントゲン写真を見ると複数の玉が入っていることが確認できます。振ると音がしますが、穴が開いていないため、近くで耳を澄ませないと音がよく聞こえません。次回は縄文時代の石製品をご紹介します。
(平成30年12月5日現在)
高根遺跡 (室内整理)
高根遺跡では縄文時代の遺構からいろいろな動物遺体が見つかっています。種類は圧倒的に貝類・魚類が多く、そのほか鳥類・両生類・爬虫類・哺乳類などが確認されています。今回はその中から、調査区のはずれで見つかったSK38土坑内出土の獣骨についてご紹介します。SK38は縄文時代の遺構の分布域からやや離れた地点から検出され、中世の土坑の可能性があります。埋土中から大形の獣骨が出土しました。
SK38土坑の獣骨出土状況(本来は全身骨とみられる)
骨類鑑定の結果、小型~中型のウマの骨であることがわかりました。歯牙計測による推定年齢は15~16歳程度の高齢馬とみられます。家畜として大切に飼育されていたのでしょうか。遺骸を墓の中に丁寧に葬った様子から、動物と人との関わりがうかがえます。
(平成30年11月29日現在)
間木戸Ⅰ遺跡 (室内整理)
今月は写真撮影を行いました。写真は750箱分のなかから厳選した縄文土器の集合写真を撮影している様子をご紹介します。
撮影準備中です。土器の置く場所、光の当て方(ライティング)など、いろいろ考えながら並べて構図を決めていきます。
構図も決まりいよいよ撮影開始です。当センターでは一眼レフタイプのデジタルカメラをパソコンと連動させて撮影します。
撮影が終わり、並べていた土器を片付けます。小さい土器たちはまるで入り口に向かって歩いているようにも見えますね。ですが、実際には歩いてくれないので、手に取って番号を確認しながら一つ一つ箱に戻していきます。
撮影した写真がこちらです。土器の大きさや形、渦巻の文様などが上手に表現できました。一枚の写真を撮るためにはいろいろな機材や手順があることがおわかりいただけたでしょうか?
(平成30年11月27日現在)
長谷堂貝塚 (室内整理)
魚骨の仕分け選別を行っていくと、網の目の構造が特徴的なサケ科魚類の椎骨(ついこつ)が多量に含まれていました。
現在でも長谷堂貝塚の近くを流れる盛川は、サケの漁場として知られています。およそ4千年前に、縄文人たちもサケ漁にいそしんでいた情景が目に浮かびます。
(平成30年11月16日現在)
沢田Ⅲ遺跡 (室内整理)
沢田Ⅲ遺跡から出土した赤彩土器(せきさいどき)を観察中です。器種により赤色の色調や文様の描き方に違いがありますが、共通点もあります。色調は赤色や赤褐色が多数を占めます。文様は横線が多く、稀に縦線が描かれています。
近年の研究(米田・高橋・河本「岩手県における古墳時代~平安時代の赤彩土器研究(2)」『紀要』37、2019)によれば、赤色の色調は、赤色(5世紀~6世紀)→赤色から赤褐色(7世紀~8世紀前半)→赤褐色から明赤褐色・橙色(8世紀後半~9世紀)に移行し、時期が新しくなると主体となる色調が明るくなる傾向が指摘されています。また、口縁部の文様は、横線を主体としながら次第に縦線が加わって、格子目の文様が赤く描かれます。胴部の文様は、内面や外面の塗布から次第に外面全体が赤く塗布されるようです
沢田Ⅲ遺跡の赤彩土器にみられる赤色の色調や文様は、7世紀~8世紀前半頃の赤彩土器の特徴を反映しているのかもしれません。
(平成30年11月6日現在)
間木戸Ⅰ遺跡 (室内整理)
間木戸Ⅰ遺跡では、平安時代の竪穴住居や工房からいろいろな金属製品が出土しています。種類は刀子(古代のナイフ)、鏃、鎌、馬具、釣針などがあり、なかでも馬具は岩手県内でも出土数の少ない貴重なものです。今回出土した馬具は、轡(くつわ)と手綱(たづな)を繋ぐための引手(ひって)と馬に乗る時に脚を載せる鐙(あぶみ)を吊るための吊金具(つりかなぐ)で、当時の間木戸Ⅰ遺跡で馬を飼っていた可能性を示すものといえます。
また、釣針は長さが約13㎝もあり、かなり大きなものです。縄文時代の土坑からはスズキ・ハタ・メバル・クロダイ・サバ・ソウダガツオなどの骨が見つかっていますが、平安時代の遺構からは魚の骨は出土していません。山田湾や近海で漁をするときに使ったと考えられますが、この釣針を使って一体どんな大物を狙っていたのでしょうか?
(平成30年10月31日現在)
石峠Ⅱ遺跡 (室内整理)
今回で中期の土器の紹介は最後となります。一番新しい段階の土器です。帯状の無文帯による逆L字状が連続して見られます。無文帯が接する部分には2枚目の写真のように鰭(ひれ)状の突起が付けられるものが多く見られます。次回は中期の土製品をご紹介します。
(平成30年10月31日現在)
高根遺跡 (室内整理)
高根遺跡では先日、分析鑑定用の試料選定をおこないました。
遺跡から見つかる「炭(=炭化材)」も重要な資料です。樹種がわかれば、当時の木材利用の様子も見えてきます。
縄文時代の竪穴住居の床面から出土した炭化材や、炉跡内部から出土した炭化材など合わせて21点を抽出しました。
これまでの整理で、電子顕微鏡による樹種同定を他の分析機関に委託した結果、竪穴住居の柱材としてトチノキ、クリなどが確認されています。今回は肉眼鑑定を予定していますが、どのような樹種が確認されるでしょうか。その結果が待たれます。
(平成30年10月31日現在)
沢田Ⅲ遺跡 (室内整理)
沢田Ⅲ遺跡から出土した土師器のなかに赤く塗られた赤彩土器(せきさいどき)と呼ばれる土器が多数確認されています。写真の壺形土器は、口縁部の外面と内面、くびれた頸部の外面に幅1.5~2.0㎝ほどの横線の文様が赤く塗られています。この他、沢田Ⅲ遺跡では、坏・高坏や椀など様々な器種が赤く塗られていますが、赤色の色調や質感、文様の描き方などに違いが見られ、たいへん興味深い資料です。
沢田Ⅲ遺跡から出土した土師器の年代観は、7世紀代を中心とした時期と推測され、赤彩土器も同時期の可能性をもつまとまりと考えられます。赤彩土器は、終末期古墳との関係が指摘されており、前回紹介した和銅開珎(わどうかいちん)と併せて、西側に位置する房の沢(ぼうのさわ)Ⅳ遺跡(房の沢古墳群)との関係が注目される資料です。
(平成30年10月17日現在)
長谷堂貝塚 (室内整理)
昔の人の食事情を目の当たりにできるのが、貝塚調査の魅力ですが、内容を詳しく調べるには大変な労力が必要です。
ここでご紹介する大船渡市長谷堂貝塚の整理では、掘り出した小さい骨のかけらを、種類別に仕分ける作業を行っています。一つずつ、何の骨か?そしてどの部分の骨なのか?
同定能力はもちろんのこと、視力と忍耐力も欠かせません。
小さい骨は最初に大きく分類します。
右下はイヌなど哺乳類の歯、左下はヘビの椎骨(背骨)、奥は魚の顎を構成する骨の破片になります。小動物は食料ではなく、偶然まぎれこんだものかも知れません。
もう一枚の写真は魚の椎骨です。大きいものはマグロやサケ、小さいものではサバやイワシ、アイナメといった種類が見られます。
この作業を繰り返していたら、サバ水煮缶を食べる時、つい背骨に見入ってしまうようになりました。
(平成30年10月9日現在)
平清水Ⅲ遺跡 (室内整理)
平清水Ⅲ遺跡は、野田村役場の西約2㎞に位置する古墳時代末~平安時代前半を中心とする集落跡です。平成25年度に野田村教育委員会と岩手県教育員会により調査が実施されました。調査当時は蕨手刀が発見されたことでも話題となりました。今年度の7月から野田村の依頼を受け報告書作成を当センターで行っています。
今回は、SI04竪穴建物の埋め土から見つかった2つの火山灰を紹介します。
写真の下方の白っぽく見えるのが十和田a火山灰で、その約10㎝上に黄色の小さい粒状に見えるのが白頭山火山灰です。十和田a火山灰は、915年に現在の十和田湖が火山爆発した際に降らせた火山灰で、この火山灰が年代の目安となり、SI04竪穴建物は915年よりは古い時代に既に朽ち果てていたことがわかります。白頭山火山灰は、北朝鮮と中国の国境を跨いでそびえる白頭山が、巨大噴火した際に降った火山灰です。青森県内では、十和田a火山灰の上層に白頭山火山灰が観察されるのは一般的ですが、岩手県内で両者が一緒に見つかるのは非常にめずらしいことです。白頭山火山灰は10世紀前半という説が有力ですが、具体的な年代はわかっていません。平清水Ⅲ遺跡で確認された10㎝の差が何年になるのか、興味深い内容です。
(平成30年10月5日現在)
高根遺跡 (室内整理)
高根遺跡では拓本の貼り込み作業を、土器トレースと並行して行っています。
カッターで切り抜いた拓本にシュッとスプレー糊を吹き付けて。
立面図から離す距離や、拓本の位置を確認しながらトレース図の中にピンセットで貼り込んでいきます。
拓本を貼り込んだ状態の土器トレース図。今しばらく本作業を継続する予定です。
(平成30年9月28日現在)
石峠Ⅱ遺跡 (室内整理)
前回に引き続き大木10式の土器をご紹介します。今回の土器は3段階のうち中間の時期の土器です。1枚目の写真のように、胴下部の区画が不明瞭になり、胴部全体で一体化した文様が描かれます。また、2枚目の写真のような波のような文様を描く土器が多く見つかっています。次回は大木10式の最後の段階である新段階の土器をご紹介したいと思います。
(平成30年9月25日現在)
間木戸Ⅰ遺跡 (室内整理)
間木戸Ⅰ遺跡では、奈良~平安時代の竪穴住居・工房が23軒見つかっています。このうち1軒の住居ではカマド脇の貯蔵用の穴から煮炊き用の土師器の甕のほか、沿岸部の遺跡ではあまり出土していない須恵器の坏や壺が出土しました。この住居は焼けた柱や壁材が見つかっていることから火災にあった住居(焼失家屋)と考えられます。焼失家屋では土器が残されていることが多く、当時の土器の組み合わせを知るうえで貴重な資料となります。
(平成30年9月25日現在)
沢田Ⅲ遺跡 (室内整理)
沢田Ⅲ遺跡では、たくさんの銭貨が出土しており、現在整理中です。注目されるのは、皇朝十二銭の最初とされる和銅開珎(和銅元(708)年鋳造)で、古代の竪穴住居跡から3点出土しました。一緒に出土している土師器の年代観は8世紀前半と想定されており、和銅開珎は、早い段階で岩手県域の太平洋沿岸部まで、もたらされていたようです。
岩手県におけるこれまでの和銅開珎の出土事例は17点(井上雅孝「東北・北海道」『畿内・七道からみた古代銭貨』2000年)と少なく、出土傾向をみると、内陸部では盛岡市太田蝦夷森古墳や花巻市熊堂古墳群、沿岸部では宮古市長根Ⅰ遺跡などの終末期古墳から出土しているほか、北上市江釣子古墳群に隣接する猫谷地遺跡の竪穴住居跡からも出土しています。その後の事例としては、一関市河崎の柵擬定地から2点出土しています。
沢田Ⅲ遺跡の竪穴住居跡から出土した和銅開珎も貴重な事例であり、今後、西側に位置する房の沢Ⅳ遺跡(房の沢古墳群)との関係も含めて検討していく予定です。
銭貨の拓本を採り、整理しています。
和同開珎の写真(上)と採った拓本(下)
(平成30年9月12日現在)
高根遺跡(室内整理)
高根遺跡では拓本作業が終了し、8月末から土器のトレース作業に着手しています。
トレースは、実測図の上に用紙を重ね、下図の線の通りにペンでなぞっていく作業です。
土器の輪郭(太)、粘土ひもの貼り付け(中)、稜線や縄文の節(細)など、あらかじめ決められた太さで丁寧に描き分けていきます。
上半分を手書きトレース、下半分を拓本貼り込みで仕上げた土器実測図。
凹凸のある立体的な部分の表現は手書きで、起伏の少ない平らな部分は拓本を貼り込んで表現しています。
こちらは、すべて手書きでトレースされた土器実測図。
外形トレース図へ仮貼された拓本。このあと糊付けされます。
(平成30年8月30日現在)
杉の堂遺跡 (室内整理)
現在、縄文土器の実測・拓本作業を進めています。今回はその様子をご紹介します。
① 拓本は土器に紙を貼りその上から墨を打って模様を写し取ります。
② 写真左は縄文時代晩期の皿で、拓本を採ると写真右のような模様が浮かびあがってきます。複雑な模様がきれいに配置されて描かれているのが分かります。
③ 上の写真の土器の実測図です。土器の形や厚みを測り、模様の描かれた手順などを観察し図に表していくので、いわば土器の設計図が出来上がります。
その他、杉の堂遺跡ではたくさんの縄文晩期の土器が出土しています。次回はそれらを紹介したいと思います。
(平成30年8月29日現在)
間木戸Ⅰ遺跡 (室内整理)
今回は縄文時代の石製品についてご紹介します。石製品は、耳飾り・玉類・石棒類・三角とう形石製品・軽石製品など約150点出土しました。耳飾りは様々な形のものがあり、材質は北上山地産の頁岩・流紋岩の他に新潟県の糸魚川産と考えられる翡翠が2点ありました。三角とう形石製品は三角柱のような形をしており、底面がくぼんでいたり穴があけられたりしています。用途はよくわかっていませんが、岩手県では数遺跡でしか出土していない珍しい石製品です。
石峠Ⅱ遺跡 (室内整理)
今回も引き続き縄文時代中期の土器を紹介します。大木10式と呼ばれる土器です。大木10式は大きく3時期に分けられることが多く今回ご紹介するのは古い段階のものです。胴下部に沈線で区画をし、区画より上に縄文帯でアルファベットのような文様を描くのが大きな特徴です。1枚目の写真はヨコ向きのSのような文様が描かれています。2枚目の写真は同じ時期の土器をまとめて撮影したものです。この時期から石峠Ⅱ遺跡では、住居などの遺構数が増加し、集落の規模が大きくなっていったものと考えられます。 (平成30年8月24日現在)
高根遺跡 (室内整理)
高根遺跡では、前回ご紹介した「拓本(たくほん)」作業と並行しながら、パソコンを使用したデジタル作業を行っています。現在は電子平板(でんしへいばん)で実測した平面図(へいめんず)と、手取り断面図(だんめんず)との合成作業(ごうせいさぎょう)を経たデータを、パソコン専門の職員が、現場の調査員とやりとりを重ねながら、デジタル遺構図版(いこうずはん)へと仕上げる作業を行っています。
線の太さや字の大きさを揃(そろ)えるといった、チェック作業を行っているところ。デジタル作業は毎日がパソコンとのにらめっこです。
当センターでは、およそ10年前から電子平板を使った実測方法が主流(しゅりゅう)となっています。
縄文時代の竪穴住居の遺構図版草稿(そうこう)。調査員からの指示書きがビッシリと。
(平成30年7月30日現在)
間木戸Ⅰ遺跡 (室内整理)
今回は縄文時代の土製品についてご紹介します。土製品は、土偶・動物形・キノコ形・斧形・耳飾り・玉類などがあり、約130点出土しました。なかでも板状の土偶(1枚目の写真)は胸から上の部分は欠けていますが、現存で22㎝あり、岩手県内でも屈指の大型品です。動物形の土製品は手足が欠けていますが、目と鼻が表現されています。作った人はどんな動物をモデルにして作ったのでしょうか?現在類例を調べているところです。
(平成30年7月30日現在)
石峠Ⅱ遺跡 (室内整理)
今回は縄文時代中期の土器を紹介します。2点とも大木9式と呼ばれる土器で、縦方向の帯状の文様が特徴です。石峠Ⅱ遺跡では、大木9式土器の出土点数は少ないものの、この時期の竪穴住居や貯蔵穴が見つかっていることから、小規模な集落が営まれていたことが分かりました。
(平成30年7月24日現在)
長谷堂(はせどう)貝塚 (室内整理)
長谷堂(はせどう)貝塚は大船渡市猪川町(いかわちょう)にある遺跡です。過去、十数回の発掘調査が行われ、縄文時代中期から弥生時代にかけての大規模な集落跡であることがわかっています。今回の発掘調査は平成28、29年度に実施したもので、縄文時代中期の住居跡や貝塚などがみつかりました。この6月から本格的に開始した室内整理作業の様子を随時お伝えしていきます。
(平成30年7月2日現在)
最初にご紹介するのは貝層の仕分け作業です。1枚目の写真にあるようなアサリを主体とした貝塚が検出され、全量を持ち帰りました。合計で1,600㎏を超す貝殻、骨などを種類別に選別、計量する地道な作業を進めています。
貝殻に混じって、哺乳類、魚類などの骨、さらに釣針や銛などの骨角器も見つかっています。
間木戸Ⅰ遺跡 (室内整理)
今回は前期末~中期初頭(約5,000年前)の土器をご紹介します。この時期の土器は、胴部が寸胴なものと金魚鉢のような球胴形のものがあります。胴部には縄文、口縁部の付近には棒状・ボタン状の貼り付け、丸や山形の沈線を施したりします。前回ご紹介した中期中葉(約4,500年前)の土器と見比べていただくと、形も文様も大きく異なることがわかるかと思います。間木戸Ⅰ遺跡では、前期末~中期初頭の土器は中期中葉の土器よりも出土量はかなり少ないです。この時期の竪穴住居も見つかっていますが、数は少なく中期中葉よりも住んでいた人は少なかったものと思われます。
次回は土器以外の遺物についてご紹介したいと思います。
(平成30年6月27日現在)
高根遺跡 (室内整理)
先日まで行っていた土器の着色作業はすべて終了し、現在は、縄文土器の拓本(たくほん)作業を中心に行っています。ここでいう「拓本」とは、土器に被せた紙を上から水で濡らして貼り付け、墨のついたタンポで模様を写し取る作業のことを指します。これを「湿(しつ)拓(たく)」とも言います。今回は「拓本」作業の様子をご紹介します。
土器の器面に紙をかぶせ、水を含ませたガーゼで押さえて、土器と紙を密着させます。
次に「タンポ」という道具を使って墨をぽんぽんと少しずつ乗せていきます。すると、土器の表面の模様が次第にはっきり浮き上がってきました。
出来上がりの拓本です。これを今後、平らにのばしながら乾かし、土器のトレース図に貼り込んでいきます。
トレース図への張り込みを待つ拓本。いましばらく本作業を継続する予定です。
(平成30年6月25日現在)
長途遺跡 (室内整理)
長途遺跡で見つかった特大の縄文土器を紹介します。写真に写る7点の土器はいずれも今から約6000年前の土器です。その中で、ずば抜けて背が高い中央の土器に注目ください。
この土器は、高さ65㎝、口径53㎝もある特大サイズです。加えて、模様の付け方もほかの土器と比べて特異で、器体上位、中位、下位でそれぞれ違う模様が施されています。また、土器表面の色についても、上半分までは黒っぽい色なのですが下半分はきれいな肌色です。このことから、土器の下の方は地面に埋められ、上の方はむき出しで火を受けるような用途だったことが考えられます。この土器は土坑内からばらばらの状態で発見されました。そのような特殊な出方から、この土坑はお墓の可能性もあり、土器は副葬品的な性格のものだったのかもしれません。
(平成30年6月22日現在)
石峠Ⅱ遺跡 (室内整理)
今回は石峠Ⅱ遺跡でメインとなる縄文時代中期の土器の集合写真を撮影しましたので、その様子をご紹介します。
1枚目は撮影台に土器を並べている時の様子です。40点以上の土器をまとめて撮影するため、土器の重なり具合や光の当たり方を確認して並べています。
2枚目は撮影した集合写真のうちの1枚です。集合写真ならではの迫力を感じていただけるでしょうか。
次回以降、縄文時代中期の個別の土器の特色などをご紹介したいと思います。
(平成30年6月19日現在)
石峠Ⅱ遺跡 (室内整理)
発掘調査で見つかった遺物を順次ご紹介したいと思います。石峠Ⅱ遺跡では縄文時代から中世までの多様な遺物が見つかっていますが、今回は縄文時代早期と縄文時代前期の土器をご紹介します。写真上の土器は、今から約8,000年前の縄文時代早期中頃の土器です。この時期の土器は底が尖っている形をしているものが多く、尖底(せんてい)土器とも呼ばれています。土器にはサルボウ等の貝殻で模様がつけられています。この時期の竪穴住居が3棟見つかっており、山田町では最も古い住居のひとつとなります。写真中央と下の土器は、今から約6,000年前の縄文時代前期はじめ頃の土器です。この時期の土器の特徴として、粘土に繊維を混ぜて作られることがあげられます。そのため、繊維土器などと呼ばれることがあります。この時期の竪穴住居は30棟以上見つかっています。次回は縄文時代中期の土器を紹介したいと思います。
(平成30年6月1日現在)
間木戸Ⅰ遺跡 (室内整理)
間木戸Ⅰ遺跡では、縄文時代前~中期(約5,000~4,000年前)の土器がコンテナで750箱分出土しました。最も多いのは胴部に渦巻状の模様を描く深鉢で、中期中葉(約4,500年前)頃のものです。深鉢の形は様々で、口縁部が波のようになっているものや大きな突起が付けられたものもあります。大きさも高さ10㎝くらいのものから70㎝近いものまであります。これらの深鉢は主に煮炊きに使われていたものであり、調理の際に付いたススやおこげが残っているものがたくさんありました。
現在はこれらの土器の実測作業を行っています。次回は中期中葉以外の土器などについてご紹介したいと思います。
(平成30年5月30日現在)
杉の堂遺跡 (室内整理)
杉の堂遺跡は奥州市水沢に所在しています。これまでに39回もの発掘調査が行われ、遺跡内には縄文時代と古代の集落が広がっていたことがわかっています。今回は平成29年度に40回目の調査を行い、調査した範囲は遺跡の南東端に位置しています。縄文時代の竪穴住居5棟、掘立柱建物5棟、土坑墓11基、古代の竪穴住居8棟など、たくさんの遺構が見つかりました。出土した遺物は土器が約100箱、石器が約40箱、縄文時代のものが大半を占めます。その他、土偶、舟形土製品、石棒、石製垂飾品なども出土しています。
今年度は報告書作成のために室内整理を行っています。現在は土器の復元作業中でどんな形の土器になるか考えながら組み立てています。次回以降、出土した遺物、今後の作業の様子などをお伝えしていきます。
(平成30年6月4日現在)
高根(こうね)遺跡 (室内整理)
高根遺跡は宮古市山口に所在する縄文時代中期(今から4,500年前)を中心とする時期の集落跡です。三陸沿岸道路建設に伴い平成26~28年度に発掘調査を行いました。発掘調査では竪穴住居約100棟、貯蔵穴約500基、遺物包含層3か所などが見つかっています。遺物は、同時期の土器や石器が中心で、ミカン箱大のコンテナで約400箱以上も出土しています。調査区は高低差が最大50mもある急傾斜地にあり、上から下まで連綿と遺構が続いている様は、実際に現地に立ってみると大迫力です。
現在は報告書作成のための室内整理を行っており、今年で2年目です。現在は遺物写真図版を作成するために、縄文土器の補修作業と写真撮影を並行して行っているところです。
(平成30年5月24日現在)
沢田Ⅲ遺跡 (室内整理)
沢田Ⅲ遺跡は、下閉伊郡山田町に所在する縄文時代・古代の集落遺跡で、平成25・26年度に発掘調査を行いました。縄文時代前期~中期(今から約5,000~4,000年前頃)の竪穴住居跡や貯蔵穴、古代の竪穴住居跡や鉄生産関連の工房跡や炉跡、炭窯跡など数多くの遺構が見つかりました。出土遺物は、土器・石器のみならず、当時の人々の食料事情を知る手がかりとなる貝殻・獣骨などの動物遺存体、トチノキ・クリなどの植物遺存体も数多く見つかっています。
現在、報告書作成のための室内整理を行っています。今後、作業の様子とともに整理作業でわかってきた出土遺物の特徴について、お知らせしていきます。
(平成30年5月21日現在)
石峠Ⅱ遺跡 (室内整理)
石峠Ⅱ遺跡は下閉伊郡山田町に所在する縄文時代から近世までの多様な時代の遺構・遺物が見つかった遺跡で、平成25~27年度に発掘調査を行いました。発掘調査では縄文時代早~中期(今から8000~4000年前)の竪穴住居約150棟、貯蔵穴約70基が見つかっており、沿岸部の大きな集落の一つであったことがわかりました。縄文時代ではこの他に300基以上の落とし穴が見つかっており、狩り場であったこともわかりました。また、古代から中世の鉄生産に係わる遺構、中世の土坑墓も見つかっています。出土した遺物は縄文土器や石器が500箱以上、土鈴、垂飾などの石製の装飾品、中世の渡来銭などがあります。
現在は報告書作成のために室内整理を行っており、今年で6年目に入りました。昨年度から紫波郡矢巾町広宮沢に分室を設けて、作業を行っています。今年度は室内整理の最終年度となっており、遺物の写真撮影や図版作成、原稿執筆を行い、来年度の報告書刊行に向けた作業を進めています。
(平成30年5月17日現在)
長途遺跡 (室内整理)
長途遺跡は、普代村役場の北北西約4.2㎞に位置する縄文時代と弥生時代の集落遺跡です。遺跡は標高100mの丘の上にあり、北東方向の谷間からは太平洋が望めます。
発掘調査では、縄文時代前期の竪穴住居4棟、土坑11基、落とし穴8基、遺物の捨て場1箇所、弥生時代後期の竪穴住居などが発見されました。特記事項としては、高さ約60㎝もある特大の縄文土器が土坑内部からバラバラの状態で発見されました。このような特殊な出方から、この土坑はお墓の可能性もあり、土器は副葬品的な性格のものかもしれません。特大の縄文土器は今から約6,000年前と考えられますので、県内でも屈指の古いお墓となります。人の骨は発見できませんでした。次回はこの特大の縄文土器の写真を紹介する予定です。
(平成30年5月15日現在)
間木戸Ⅰ遺跡 (室内整理)
間木戸Ⅰ遺跡は下閉伊郡山田町に所在する縄文時代と古代の集落遺跡で、平成25~27年度に発掘調査を行いました。発掘調査では縄文時代前~中期(今から5000~4000年前)の竪穴住居約250軒、貯蔵穴約100基が見つかっており、山田湾を望む大きな集落であったことがわかりました。また、古代の竪穴住居や工房も23棟見つかっています。出土した遺物も非常に豊富で、縄文土器や石器が1000箱以上、その他土偶や耳飾りなどの石製品、馬具や釣針などの鉄製品、貝・骨類などがあります。
現在は報告書作成のために室内整理を行っており、今年で5年目に入りました。今年度は縄文土器の実測や拓本、図版作成を行っていく予定です。次回からは作業の様子とともに出土した遺物についても掲載していきます。
(平成30年5月8日現在)
※このホームページは公益財団法人岩手県文化振興事業団埋蔵文化財センターが、調査した遺跡の情報を提供しています。 掲載されている情報の無断転載はできません。