乙部野Ⅱ遺跡

東日本大震災関連発掘調査

いわて調査情報/2015年12月24日現在

DATA

※この遺跡の調査は終了いたしました。

遺跡名 乙部野Ⅱ(おとべの2)遺跡
所在地 岩手県宮古市田老字重津部地内
事務所 080-8213-5154
調査期間 平成27年8月3日~12月18日
時代 縄文時代、弥生時代
検出遺構 縄文時代:竪穴住居跡、陥し穴、土坑
出土遺物 縄文時代:土器、石器、土製品、石製品
弥生時代:土器
otobeno2-1224-1 otobeno2-1224-2

乙部野Ⅱ遺跡の調査は18日(金)を以て終了しました。
 この場所では、縄文時代前期・後期・晩期末から弥生時代初頭といった複数の時期に人が暮らしていたことがわかりました。見つかった遺構や出土した土器、石器といった遺物については、今後整理作業を進めて、その成果をお伝えできればと思います。
(平成27年12月22日現在)

otobeno2-1214-1 otobeno2-1214-2

現場もいよいよ大詰めです。12月に入り、朝は霜取りの作業から始まる日が増えてきました。
下の写真左手の土壁に、黄色い土の層がみえます。これは十和田湖がむかし噴火した際にとんできた火山灰です。竪穴住居の中に堆積しており、火山灰が降った時期よりふるい縄文時代前期の竪穴住居があったこともわかってきました。
(平成27年12月10日現在)

otobeno2-1202-1 otobeno2-1202-2

竪穴住居の炉に斜めに据えられた埋設土器を見つけました。この住居の他にも数棟、同じような炉を持つ竪穴住居が見つかっています。
(平成27年12月2日現在)

otobeno2-1119

15日(日)におこなった現地説明会の様子です。小雨で足場の悪い中でしたが、多くの方々に足を運んでいただきました。お越しくださった皆様、本当にありがとうございました。
縄文時代後期初頭と、縄文時代晩期末から弥生時代初頭の竪穴住居跡について説明しているところです。
(平成27年11月19日現在)

otobeno2-1104-1otobeno2-1104-2

調査も佳境に入りつつあります。
上段の写真は、竪穴住居跡です。中央に炭化物が集中しており、焼土も各所に見られます。これは住居が火によって焼けたことを示すものです。
また、この住居からは、下段の写真のような残りの良い遺物が多数見つかっており、これらは11月15日(日)の現地説明会にて見ていただきたいと思っております。
(平成27年11月2日現在)

otobeno2-1015

写真は調査区の北東向きの斜面になります。中央付近の黒い部分で、縄文時代後期を中心とした土器片がたくさん見つかっています。居住域は写真上から左にかけての平坦な面に広がっており、斜面を利用して使用しなくなった土器を捨てた場所と考えられます。
(平成27年10月14日現在)

otobeno2-1014-1 otobeno2-1014-2

表土剥ぎもほぼ完了し、遺構の精査が進んできました。写真1は竪穴住居跡の写真ですが、写真2は写真1の竪穴住居跡の下より見つかった別の竪穴住居跡です。このように複数の住居が上下で重なり合うように見つかっています。
(平成27年10月9日現在)

otobeno2-918

8月から調査を開始し、表土剥ぎもだいぶ進みました。
遺構の検出をしたところ、遺構も遺物もたくさん見つかり始めました。その中から、乙部野遺跡の陥し穴第一号を断面実測しているところです。
(平成27年9月17日現在)

 otobeno2-910

 今月から調査区内でも遺構の検出が多い部分に着手しています。
写真は縄文時代の住居跡を精査しているところです。住居内には焼土(赤く焼けた土)とその周りを石で囲った石囲い炉(写真中央のあぜの下にあります)が確認できました。炉の石は、床を掘って設置しているというよりも、住居の床に置いたかのように浅い状態で組まれていました。
(平成27年9月8日現在)

 otobeno2-821-2 otobeno2-821-1

8月3日から乙部野遺跡の調査を開始しました。
雑物の撤去と試し掘りをして(写真上)、今週は表土を剥いだところから遺構を検出しています(写真下)。
(平成27年8月19日現在)

※このホームページは公益財団法人岩手県文化振興事業団埋蔵文化財センターが、調査した遺跡の情報を提供しています。 掲載されている情報の無断転載はできません。

岩手県文化振興事業団 岩手県立博物館 トーサイクラッシックホール(岩手県民会館) 岩手県立美術館 いわてわんこ節電所

このページの先頭へ