平成26年度調査
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中村遺跡
いわて調査情報/2015年3月19日現在
DATA
※この遺跡の調査は終了いたしました。
遺跡名 | 中村(なかむら)遺跡 |
所在地 | 岩手県北上市二子町中村10番3 |
事務所 | 080-1668-0393 |
調査期間 | 平成26年4月7日~12月19日(予定) |
時代 | 縄文、弥生、古代 |
検出遺構 | 縄文時代:遺物包含層 古代:竪穴住居跡、焼成遺構、畝間状遺構ほか |
出土遺物 | 縄文時代:土器、石器 古代:土師器、須恵器 |
4月からの野外発掘調査再開にむけ今年度調査で発掘された土器の接合作業を進めています。
発掘された時には泥にまみれていた土器も、綺麗に洗浄し接合することで様々な色や形をしていることがわかります。
(平成26年3月19日現在)
先週から雪が降り始め、毎日のように積雪を観測しています。
今日の最高気温はマイナスで吹雪ですが、安全に配慮し、作業を進めています。
(平成26年12月17日現在)
中村遺跡では現在20本以上の溝跡が検出されています。このうち数本は上幅2m以上、深さ1m以上の規模を持つもので、調査区を東西に一定間隔で横断している状態です。流水の痕跡が見当たらないことから用水路などではなく、集落の区画を目的として設置されたと考えています。大規模な村の両端を区切っていたのか、あるいは村の内部を区画していたのかなど、今後の検討が必要な部分となります。
(平成26年12月1日現在)
青い破線部にご注目ください。1辺が6mを超える竪穴住居の中央部、約4m四方が段状に高くなっています。これは貼床を剥がした状態ですが、全体が拡張された可能性が高いとみられます。理由として住居東壁にカマドが3基並列しており、この残り具合や深さの差から見てそれぞれのカマドに新旧があること、柱穴が中央の段状部分の内部と外部に設置されていることが挙げられます。
今後は他遺跡の事例なども参考に、この住居跡がどのような構造だったのか詳細に検討していきます。
(平成26年12月1日現在)
中村遺跡ではカマドを持つ竪穴住居が多く検出されています。
写真は各部の残存状態が非常に良いカマドを記録したものです。火を焚く燃焼部、袖や支脚の石及び土器、そして煙道といった一般的なカマドの構造を見ることが出来ます。
(平成26年11月6日現在)
上の写真は火災にあった住居跡です。
床面に広がる炭の塊は、住居の柱や屋根の部材と見られます。この炭を測定することで、樹種や住居が建てられた時代を知ることができます。また炭の並びなどは、建築構造を知る手掛かりとなります。
(平成26年11月6日現在)
住居跡から大きな白い粘土の塊が出土しました。(直径約60センチ)
中村遺跡では、土器剥片が出土する焼成土坑が約60基見つかっています。このような粘土を用いた土器づくりが行われていたのでしょうか。
しかし今のところは住居内からロクロを据え付けた跡である『ロクロピット』はまだ見つかっていません。
(平成26年10月30日現在)
赤と青のコントラストが目を引きます。赤い土器は土師器(はじき)、青い土器は須恵器(すえき)です。実はここ、貯蔵穴(ちょぞうけつ)という住居内のカマドの隣に位置する穴で、現代の床下収納といったところでしょうか。
(平成26年9月22日現在)
※そして今週末(9月27日10:30~)に、現地説明会を開催します!みなさんお待ちしております!!
だんだんと土器が顔を出してきました。ドキドキです。
実はこの後、さらにこの下からも土器が顔を出します。
(平成26年9月22日現在)
古代の竪穴住居の床面から、大小様々な柱穴が見つかりました。
住居内の隅に位置するのは、その大きさ及び配置から主柱穴と推定されます。中には鋭い角を持った複数の石が重なり合っていました。穴を完掘するのはもちろ ん、石を取り上げるのも一苦労でした。どのようにして柱穴内に石が入り、その上に土が堆積したのか?住居内の他の柱穴と比較しつつ来歴を検討したいです。
(平成26年8月29日現在)
9世紀後半の竪穴住居から珍しい形の土師器が出てきました。高さが8㎝あまりと小型で、口縁部の下と胴部に鋭い凸帯が3条巡ります。類例を探していますが見つかりません。ご存知の方がいたら教えていただければ幸いです。
(平成26年7月25日現在)
中村遺跡は北上川に沿った自然堤防の上に広がる古代集落跡です。この区域では平安時代の竪穴住居が多数見つかりました。1辺が5~6mほどの大きさで、北(写真の手前側)にカマドを持つものが多いのが特徴です。
(平成26年6月27日現在)
竹べらを使って、古代の竪穴住居から遺物を取り出しているところです。アーチ状の輪郭がくっきりと浮き出ていますね。どのような形のものが出てくるのでしょうか?次回更新をお楽しみに。
(平成26年6月27日現在)
左手前にあるのが球胴甕(きゅうどうがめ)です。直径25cmほどありました。主に食物を貯蔵する目的で使われていまし た。中央に見えるのが赤彩土器(せきさいどき)です。表面に赤い色が塗られているのが特徴で、珍しいものです。何か特別なものを入れていたと考えられてい ます。
(平成26年6月27日現在)
平安時代の竪穴住居の床面に掘られた土坑(貯蔵用の穴)から土師器の坏(おわん)まとまって出土しました。黒色に焼かれた器の表面は滑らかに磨かれ、きれいに光っています。
(平成26年5月29日現在)
重機で地面を1.5mほど掘削し、更に人力で薄く土を削り取ると平安時代の竪穴住居跡の輪郭がいくつも確認できます。土層観察用のベルトを残して、さっそく掘削に取り掛かります。
(平成26年4月30日現在)
※このホームページは公益財団法人岩手県文化振興事業団埋蔵文化財センターが、調査した遺跡の情報を提供しています。 掲載されている情報の無断転載はできません。