イベントレポート
復興発掘調査展 in 洋野町 開催しました。
令和4年11月12日(土)~11月20日(日)まで、洋野町民文化会館コミュニティホールで「復興発掘調査展 in 洋野町」を開催しました。
パンフレットはこちら
コミュニティホールの入り口です。
受付でパンフレットを受け取り、中に入ると大きな土器がたくさん並んでいて、目を引きます。
洋野町では平成26年度から令和元年度までに、21遺跡およそ15万㎡の発掘調査を行いました。ほとんどが三陸沿岸道路の建設に伴って事前に行われたものです。
中央の土器の周りに、北から順番に遺跡の説明と見つかった土器や石器が並んでいます。
洋野町内で最も古い土器です。板橋Ⅱ遺跡の縄文時代草創期の土器で、爪で付けたような模様がついています。
これらの縄文時代草創期の土器は県内でもこれまであまり見つかっていない貴重なものです。
鹿糠浜Ⅰ遺跡の前期の土器も中央に展示されています。この遺跡では集落の捨て場を調査し、およそ1tの土器が見つかりました。
丸底や尖った底、極端に小さい底の土器が見られます。外側や内側についた煤が、鍋として使いこまれたことを物語っています。
中央に展示した北ノ沢Ⅰ遺跡の縄文時代前期から中期の土器です。やはり調査区が捨て場にあたり、2tもの土器が見つかりました。
平底で、背の高いバケツ型の形が特徴の円筒式土器です。
西平内Ⅰ遺跡は、縄文時代後期の遺跡で、配石遺構が見つかっています。
西平内Ⅰ遺跡から見つかった鐸形土製品です。鈴のような形をしていますが、何に使われたのかよくわかっていません。
配石のようすは映像や図面、実物大の写真でご覧いただきました。
洋野町内では、奈良時代の集落も多く見つかっています。鹿糠浜Ⅰ遺跡では、土器のほか土製紡錘車や土製勾玉も出土しました。
古代の住居から見つかるカマドの模型です。調査では壊れて見つかることから、元の形を模型にしました。煙突(煙り出し)も再現しています。
三陸沿岸では古代から鉄づくりの遺跡が多いのですが、洋野町南八木遺跡からも見つかりました。
古代から中世のものと思われ、砂鉄から鉄分を取り出す段階から道具作りまで行われていたようです。写真は送風管の羽口の破片です。炉の中に入っていた先端の部分に鉄滓がついています。
最後に子供たちに最も人気のコーナー、落とし穴の実物大模型です。
洋野町ではサンニヤⅢ遺跡や荒津内遺跡など落とし穴がたくさん見つかる狩場も多かったです。
ここで、「落とし穴に落ちたらどうなるかな?」と想像しています。
中に入ってみると・・・こんなに狭くちゃ、逃げられないよね!
大人の方々からは、
「こんな狭い穴をどんな道具で掘ったんでしょう?今みたいなシャベルはないし・・昔の道具で大変ですよね。」
という声が多くありました。
隣の会場では、洋野町の遺跡発掘調査報告会や発掘調査展も行われ、本展と合わせて大勢の人が訪れました。
ご覧いただき、ありがとうございました。
2022年12月5日掲載
※このホームページは公益財団法人岩手県文化振興事業団埋蔵文化財センターが、調査した遺跡の情報を提供しています。 掲載されている情報の無断転載はできません。