中林下遺跡
いわて調査情報/2020年12月3日現在
DATA
※この遺跡の調査は終了いたしました。
遺跡名 | 中林下遺跡 |
所在地 | 岩手県奥州市水沢真城中林下 |
事務所 | 080-2820-0196 |
調査期間 | 令和2年4月7日~11月30日 |
時代 | 平安時代・中世 |
検出遺構 | 平安時代 掘立柱建物、竪穴状遺構 その他 堀、溝、土坑、柱穴 |
出土遺物 | 平安時代 土師器、須恵器 |
今年度の発掘調査は、11月30日をもって終了しました。
写真①は、調査区の中央部を上空から撮影したものです(上方が北)。堀が巡り、その内側に柱穴が密集しています。
写真②は堀の南端部、写真③は柱穴の密集部分、写真④はその内部にあった掘立柱建物のうちの一つです。
写真⑤は、調査区の東側で見つかった掘立柱建物です。この付近の柱穴には、写真⑥・⑦のように柱材や礎板などの木質遺物が良好に残存していました。この周辺部およびさらに東側の調査区については、来年度引き続き調査が行われる予定となっています。
(令和2年12月2日現在)
写真①は、調査区の北西区域で見つかった掘立柱建物です(白線で示した範囲)。今回の調査で確認された掘立柱建物の中では最も大きいもので、規模は南北12m×東西7.2mです。写真②は、柱穴の脇に人が立って撮影したものです。
写真③は、同じ区域で見つかった竪穴住居です。カマドの脇にある土坑(写真の上方)からは、多くの土師器・須恵器が出土しました。写真④は、その取り上げ作業の様子です。
(令和2年10月23日現在)
調査区の北西エリアで確認された土坑です。写真①では埋まった土の断面が観察できます。厚く堆積している白っぽい層は、十和田a火山灰と呼ばれるもので、今からおよそ1,100年前、十和田湖が活火山であった時期に噴火して降ってきたものです。平安時代の遺跡でしばしば確認することができます。
土坑を掘り進めて行くと、写真②のように多くの土器が出土しました。
(令和2年9月18日現在)
調査区の西側エリアで確認した掘立柱建物です。10個の柱穴で構成され、ひとつの柱穴の径は70cm前後、建物全体の規模は約7.8m×5.2mです。このすぐ北側には、これよりも小規模な掘立柱建物が隣接しています。
(令和2年9月10日現在)
調査区の北西エリアで、写真①のように、柱穴の精査を進めています。
そのうちの一つを半分掘ったところ、写真②・③のように、柱穴の底面から、礎板(建物の重さで柱が沈んでしまわないように、柱の下に据えた板材)が出土しました。
残りの半分を順次掘り進めて行った結果、写真④、⑤のようになりました。
(令和2年8月28日現在)
近隣の小学生と保護者の方々が、遺跡の見学に訪れました。
(令和2年8月7日現在)
近隣住民の方々を対象にした説明会を行いました。
約40名の方が来訪し、参加者の皆さんは調査員の説明に熱心に耳を傾け、作業の様子を興味深そうに見学されていました。
(令和2年7月10日現在)
写真②
溝の精査を開始しました。上幅3m前後の大型の溝が2条、並行しています(写真①)。手前の溝は深さが1m近くになりました。溝は途中からほぼ直角にカーブしており、ある区域を取り囲んでいるようにも見えます。この大溝の付近には、細い溝が複数、並行もしくは直交しています。また、建物の跡とみられる方形の柱穴が、規則的に配列する状況も確認されています(写真②)。
(令和2年6月26日現在)
遺跡は奥州市水沢の真城地区にあります。4月7日から調査を開始しました。現在、重機による表土除去と遺構検出を行っています。写真は竪穴住居の可能性がある遺構の輪郭を検出したところです。
(令和2年5月28日現在)
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