イベントレポート
杉の堂遺跡 現地説明会レポート
平成29年9月9日(土)、今年度第3回目となる現地説明会が開かれました。今回は、奥州市の杉の堂遺跡です。岩手県の中央を南に流れる北上川にはたくさんの橋が架けられていますが、国道397号が通る小谷木橋もその一つです。小谷木橋は架橋から60年以上が経過し、老朽化が著しいため、現在の橋の上流130mに新しい橋を建設することになりました。今回の杉の堂遺跡の発掘調査はこの架け替えにともなって国道397号が拡幅されることより遺跡の一部が消滅するために行われた緊急発掘調査です。杉の堂遺跡はこれまで30回以上もの調査が行われてきた遺跡です。今回の調査ではどんな成果があがったのでしょうか。
この日の奥州市は、朝から晴れわたり、絶好の現地説明会日和となりましたが、お昼頃になると気温はさらに上昇し、熱中症の警戒をしなくてはならないぐらいの天気となりました。そんな中でお集まりいただいた、みなさま本当にありがとうございました。
さて、現場は奥州市の岩手県交通杉の堂バス停留所をおりるとすぐです。杉の堂バス停のうしろ、今回の調査区の道路をはさんだ反対側には“いわての名水二十選”にも選ばれている杉の堂大清水の看板が。昔から水清く住みやすいところだったのでしょう。今回の調査区を北上川の側(東側)からみると、国道397号線よりも少し高まったとこにあるのがわかります。発掘担当者の見解では今道路が通っているところは北上川にそそぐ小さな川だったのではないかとのことです。
調査区の東側に駐車場を準備しました。ガードレールの向こうに新小谷木橋の橋台がみえます。12時30分を過ぎるころから駐車場にも車が増え、少しずつ人が集まってきました。駐車場担当者も忙しくなってきます。午後1時、現地説明会がはじまりました。所長のあいさつに続いて、担当調査員から遺跡の概要についての説明です。
開会行事の行われた近くのテントの下には、出土した遺物が陳列されています。みなさん興味深そうにながめていましたが、出土した遺物についての説明はあとまわしということで、まずは現場に向かいます。
最初に調査区の一番東側の地域に来ました。この地域は、縄文時代のひとびとが住んでいたと考えられる地域です。大小たくさんの穴が地面に掘られています。小さな穴は昔の住居の柱の穴の跡だと考えられます。縄文時代の住居は地面に穴を掘ってその底面を床、側面を壁として利用する竪穴建物です。この住居は詳しい調査がまだ終わっていないので、どのように建物が埋もれたのかを調べるための帯が残されています。その帯と重なって石が円形に並べられていますが、これは住居の炉です。炉の周りに土器の破片や石製品がみえます。
調査区を西に進みます。全体の様子を見るには少し高いところから見たほうがいいようです。遺物が見つかる面より上の、現在の地表面から調査区を見てもらいます。竪穴建物の西側からは食料などを貯蔵したと考えられる貯蔵穴群が見つかっています。
調査区の一番西側は縄文時代のお墓と奈良・平安時代の住居が重複する地域です。お墓と考えられる穴はいずれも人の手で埋め戻されたように土が堆積していたとのことです。なかには穴の底面や側面に赤色顔料が付着しているものもあり、縄文時代のひとたちの死生観をうかがうことができる資料かもしれません。奈良・平安時代など古代の住居もこの地域から見つかっています。その内訳は奈良時代のものが3棟、平安時代のものが4棟です。古代の住居は、縄文・弥生時代の炉にかわりカマドが設けられ、平面形は方形を呈するものがほとんどですが、説明している調査員の右側に写っている住居からもそういった特徴がわかります。
さて、遺構の説明も終わって最初の出発地点に戻り、出土した遺物の説明です。今回の調査では貴重な遺物がたくさん出土しました。また、精査の終わっていない遺構にも貴重な出土品が残されています。
縄文時代の遺物では墓から出土した朱塗りの浅鉢、フラスコ状土坑から出土した舟形土製品、注口土器など、古代の遺物では当時の高級品である緑釉陶器など、それから検出した竪穴住居跡の数と比べても非常に多数出土している墨書土器・刻書土器などです。これらからどのようなことがわかるのでしょうか、非常に興味がもたれるところです。
最後に、今回の説明会には、以前の調査に携わった方もたくさん参加されました。こうした方々のおかげで私たちも発掘調査を進めることができます。参加していただいた103名の皆様、本当にありがとうございました。
当日の資料は、こちらから。
2017年9月19日掲載
※このホームページは公益財団法人岩手県文化振興事業団埋蔵文化財センターが、調査した遺跡の情報を提供しています。 掲載されている情報の無断転載はできません。