北玉川遺跡
東日本大震災関連発掘調査
いわて調査情報/2017年12月4日現在
DATA
遺跡名 | 北玉川(きたたまがわ)遺跡 |
所在地 | 岩手県洋野町種市第14地割北玉川地内 |
事務所 | |
調査期間 | 平成29年10月2日~12月5日 |
時代 | 縄文・近世 |
検出遺構 | 竪穴住居跡・土坑・陥し穴・炭窯 |
出土遺物 | 縄文土器、石器 |
最後の最後で、竪穴住居跡が3棟見つかり(写真上)、貯蔵穴や陥し穴だけではなく、人の住んでいた痕跡を確認することができました。時期は縄文時代後期と考えます。
また上空からの写真撮影を行いました。中央の写真は南側から、下の写真は北側から調査区全体を撮影しています。分かりづらいかもしれませんが、調査区のほぼ中間が高く、その両側は低く傾斜する地形です。海が非常に近いことも分かります。
今年度の調査はこれで終了で、残りは来年度となります。
(平成29年12月4日現在)
11月後半になって、貯蔵穴などの土坑から土器や石器が出土しました。
写真上は縄文土器の深鉢で、割れてはいますが、ほぼ完形の状態で出土しました。大きさは約30㎝で、器面全体には模様として、縄目を格子目状に巡らしています。
写真下も縄文土器でこちらは深鉢の大きな破片です。詳しい大きさは不明ですが、沈線で横に流れるような曲線が描かれるのが特徴です。
(平成29年11月27日現在)
11月7日に紹介した炭窯は他に2基見つかり、それらの調査が進んでいます。
写真上は、非常に大きな炭窯です。壁は熱によって、赤く変色し、底面は真っ黒で堅く締まっています。
写真中央の炭窯は調査範囲の外に及んでおり、全てが調査できたわけではありませんが、やはり壁が熱を受け、赤く変色しています。また煙を外に出す煙突があり(写真下)、それが石で塞がれているのが特徴です。
(平成29年11月20日現在)
調査が進んでいます。
先々週、遺構検出したところ、写真上のような細長い楕円形と円形の黒いシミを見つけ、それらの調査を進めました。
細長い楕円形は掘り下げたところ、以前にも紹介した陥し穴であることが分かりました(写真中央)。また円形のシミは陥し穴と同じくらい深い穴で、縄文時代の食料(ドングリなど)の貯蔵穴であることが分かりました(写真下)。
(平成29年11月13日現在)
先週まで紹介してきた陥し穴とは別の遺構も見つかっています。
写真上は炭窯で、大きさは直径約3m、円い形をしています。床は真っ黒で、細かい木炭がたくさん見つかりました。また壁炭焼きの熱によって、黒くカチカチに硬くなっています。
また土を掘って作った煙突(写真下はその断面)が付いており炭焼きの際、煙をここから逃がしたものと考えられます。
大きさから明治時代以降のものと推測されます。
(平成29年11月7日現在)
先週、紹介した陥し穴の周辺から、新たに陥し穴が2基見つかりました(写真上)。
陥し穴は他の遺跡で見つかっているものと同様に、非常に深く、底面が細長い形をしています(写真下)。
近くには和座川が流れており、川を目指して現れる動物をねらった陥し穴でしょうか。
(平成29年10月30日現在)
調査開始から3週間が経ちました。10月10日に紹介した場所も写真上のように表土を剥ぎ、遺構を探しています。
すでに調査区端で写真下のような陥し穴がみつかっています。まだ土器や石器などが出土しないので、細かい時代は分かりませんが、縄文時代のものと推測しています。
(平成29年10月23日現在)
調査を開始しました。最初に試掘をして、表土下の土層を確認しています。
平坦な場所のようですが、写真の奥に見えるのが鹿糠浜Ⅰ遺跡で、北玉川遺跡との間は深さ20~30mの和座川の渓谷で区切られています。
どのような内容の遺跡であるかは、今後明らかにしていきます。
(平成29年10月10日現在)
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