イベントレポート
迫田Ⅰ遺跡 現地公開レポート
平成28年10月13日13:00から、大槌町大槌にある迫田Ⅰ(はさまだ1)遺跡で現地公開が行われました。約30名の方にお集まりいただきました。本当にありがとうございました。
迫田Ⅰ遺跡の調査は、三陸沿岸道路の建設に伴う復興関連緊急発掘調査です。8月1日から調査を行っています。
今回の調査では、縄文時代前期前葉(早期も少量含む)の遺物包含層が確認され、縄文土器・石器が出土しました。また、平安時代前半の竪穴住居跡が4棟確認され、土師器・須恵器なども出土しています。
尾根上からは調査区全体を臨むことができます。斜面下方に見えるのが調査範囲です。
ちなみに、写真左奥に見える段のついた斜面(木が伐採されているところ)は挟田館跡という中世城館の一部です。側を流れる大槌川を挟んで対岸には、同時期における地域支配の拠点であった大槌城跡が位置し、何らかの関連があったものと推測されます。挟田館跡はまもなく発掘調査が開始される予定です。
写真は今回見つかった平安時代前半(9~10世紀)の竪穴住居跡の中で最大のものです。1辺約4mの正方形に近い形で、南側の壁にカマドの跡が確認されました。床面が赤く焼け、その周囲にはカマドの芯材とみられる石が埋まっています。細長く伸びているのは煙道(煙を屋外へ排出するためのトンネル)の跡です。住居跡の床面には、土師器坏・甕など、住人が使用したと思われる土器も残っていました。
遺跡の中には、縄文時代の遺物を含む黒っぽい土(遺物包含層)が堆積している場所がありました。土手状に残した部分(左の写真)を見ると、調査で掘り下げた深さが分かります。今回の調査で縄文時代の住居跡は見つかっていませんが、おそらく縄文人の生活の場も近くにあって、その一部が何らかの理由(自然災害?)で流れ込み遺物包含層ができたと考えられます。平安時代の人々はその地層の上に住まいを作って生活していたことになります。
遺物包含層から出土した縄文土器と石器(石鏃・石匙など)です。土器は、縄文時代前期前葉(約6,000~7,000年前)のものが主体で、早期(約7,000~8,000年前)のものも少量含まれます。コンテナ約10箱分が出土しました。
より詳しい解説は、当日資料をご覧ください。
2016年10月19日掲載
※このホームページは公益財団法人岩手県文化振興事業団埋蔵文化財センターが、調査した遺跡の情報を提供しています。 掲載されている情報の無断転載はできません。