イベントレポート
浜川目沢田Ⅱ遺跡 現地説明会レポート
平成28年8月6日(土)午後1時から、山田町浜川目沢田Ⅱ(はまかわめさわだ2)遺跡で現地説明会が行われました。現場は、山田湾が一望でき、快晴の青空のもと、さわやかな風が包み込んでいるような場所でした。参加された69名の皆様、ありがとうございました。
浜川目沢田Ⅱ遺跡は、主要地方道重茂半島線地域連携道路整備事業に伴い行われている発掘調査です。調査範囲は、13,500㎡で、そこからは約1,200年前の平安時代前半と約4,500年前の縄文時代中期の遺構が見つかっています。それぞれで見つかった遺構は、平安時代前半のものは、竪穴建物(工房跡)、土坑、縄文時代中期のものは、竪穴建物、土坑等です。縄文時代の土器や石器の出土は少量ですが、平安時代のものと考えられる様々な種類の金属製品や、製鉄に関わる羽口等が出土しました。
山田町は、製鉄に関わる遺跡が県内でも特に多い地域です。これは、鉄を作る原料(砂鉄や木炭等)に恵まれていたことが大きな理由だと考えられます。復興工事に伴い山田町では、数多くの遺跡が調査されました。このほとんどで鉄作りに関連する痕跡が発見されています。山田町の現説では、おなじみの光景かもしれませんが、遺跡によって違いを見つけるのも楽しみのひとつではないでしょうか。
見学にいらした方からは、「縄文時代の住居跡から見つかった複式炉(ふくしきろ)の形について、調査員の詳しい解説を聞くことができました。」また、現場の作業員の方からは、「ただの石かと思って掘っていたら立派な石組みが出てきて大きな炉になった。」と見つかった時の様子を話してくれました。
説明会のトリを飾ったこの複式炉について、参加者の方から「このような作りの炉を、当時の人はどのように使っていたのか。」という質問がありました。調査員によると、はっきりとした利用状況は解明されていないとのこと。ただ、これまでの発掘の成果や今も受け継がれる習慣などから推察すると、「焼土の部分は火を焚いた所で、煮炊きの他に住居内の灯り取りの役割がある。またそこに接する石組み内からは炭の混じる灰が出土することから、灰を貯めておく場所であったかもしれない(灰は縄文人の生活で灰汁抜き等に常用されていたから大切なもの)。」そして、台形状に掘り窪められた部分に、調査員が屈んで解説を続けます。「ここは、壁際と接し底面が硬くなっている。住人によって踏み締められた証拠。玄関としてのスペースであったという研究者も居ます。」と解説がありました。煮炊きをするお母さんが毎日の献立に頭を悩ませて座っていた場所なのでしょうか?色々と想像が膨らみます。4,500年も前の人々の生活を知るには、発掘調査で最大限の情報を得ることが大事だと改めて勉強になりました。
当日の資料は、こちらから。
2016年8月19日掲載
※このホームページは公益財団法人岩手県文化振興事業団埋蔵文化財センターが、調査した遺跡の情報を提供しています。 掲載されている情報の無断転載はできません。