平成25年度調査
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- 外屋敷ⅩⅨ遺跡(久慈市)
- 北野ⅩⅢ(久慈市)
石峠Ⅱ遺跡
東日本大震災関連発掘調査
いわて調査情報/2013年12月25日現在
DATA
※この遺跡の調査は終了いたしました。
遺跡名 | 石峠Ⅱ(いしとうげ2)遺跡 |
所在地 | 岩手県下閉伊郡山田町石峠第2地割6-30ほか |
事務所 | 090-2820-1514 |
調査期間 | 平成25年7月1日~12月20日(予定) |
時代 | 縄文、時代不明 |
検出遺構 | 縄文時代:竪穴住居跡、フラスコ状土坑、陥し穴、土坑、柱穴 時期不明:製鉄関連遺構 |
出土遺物 | 縄文時代:土器、石器、石製品 中近世 :陶器、磁器 時代不明:羽口、鉄滓 |
調査の終盤に撮影した航空写真です。細長く見えるものがすべて陥し穴です。写真右側の沢に沿って100基を超える陥し穴が構築されていました。縄文時代には陥し穴を利用した規模の大きな狩猟場であったことが判明しました。
(平成25年12月20日現在)
調査で見つかった遺構は、写真撮影のほか図面も記録します。奥では断面図の記録、手前では、パソコンを使ったデジタル測量を行い、作業の迅速化をはかっています。
(平成25年12月12日現在)
調査区中央南側では縄文時代早期中葉(8,000~8,500年前)の竪穴住居が2棟見つかりました。1つは長楕円形(写真)で、もう1つは円形です。床から土器破片と石鏃などの石器の他に、石器を作った時に出る剥片が多く出土しています。沿岸部では類例が少ないため、調査成果が期待されます。
(平成25年12月10日現在)
調査区の北側で製鉄に関連すると考えられる遺構がまとまって見つかっています。これから本格的な精査を開始するところです。遺構の形がわかるようにけずっている作業員さんの中心に炉が複数あります。
(平成25年11月28日現在)
調査区で一番標高が高く(標高50mほど)、遺跡全体が見渡せる場所から縄文時代の住居跡が2棟重なるようにして見つかりました。1棟が使われなくなってから、ほぼ同じ場所に住居が建てられたと考えられます。また、同じ場所から貯蔵穴が複数見つかりました。
(平成25年11月20日現在)
調査区中央では石で囲った炉(写真中央)のある竪穴住居が見つかっています。床の近くからは、縄文時代の土器や扁平な石(台石・石皿?)などが出土しています。住居跡の大きさや柱の跡、詳しい時期などをこれから調査していきます。
(平成25年11月11日現在)
今まで見つかっていた竪穴住居より古い時期の竪穴住居が見つかりました。上から見た形は楕円形で、壁際には小さな柱穴が巡っています。中央には壁際のものよりは少し大きい柱穴があります。
(平成25年11月1日現在)
調査区北端でポツンと見つかった住居跡の精査風景です。
縄文時代の住居跡で手前の石組が炉です。住居跡の範囲には5~6本の立派な杉の根っこが密集しており、土の色や、土器などに注意しながら伐採し、やっと床面の様子が分かってきました。
(平成25年10月24日現在)
調査区中央では溝状や楕円形をした陥し穴(写真、溝状)が約40基見つかっています。形の特徴から縄文時代のもので、このようにまとまった数が見つかることが多くあります。主にシカを落とすための罠で、獣道に作っていると考えられています。
(平成25年10月10日現在)
調査区北側の南東向きの斜面から平坦面には、竪穴住居と考えられる円形のプランが多数見つかりました。平坦な場所へ行くほど重なって見つかっており、縄文人が家を構える場所として好んで利用していたものと考えられます。
(平成25年9月26日現在)
調査区北端の急斜面には、陥し穴がたくさん見つかりました。人がすっぽり入る大きさのものや、細い溝状のものもあります。中央付近でうつぶせになっている作業員は穴の底から土をすくい上げるため奮闘していました。
(平成25年9月13日現在)
9月から調査対象範囲の中央部分の試掘調査に入りました。
写真手前のような細長い区画(トレンチ)の中を地表から掘り下げ、土の堆積状況や出土する遺構・遺物を確認していきます。いくつかの土坑や縄文土器。石器などが見つかり始めており、これからの成果に期待しています。
(平成25年9月5日現在)
調査区北側の北西向き斜面の調査の様子です。傾斜のきつい所ですが、縄文時代の陥し穴や土坑が見つかっています。
(平成25年8月29日現在)
調査区北側の斜面部では、南東からのお日様を背に作業を行っています。日当たりの良いこの場所は、いくつもの土坑(穴)が見つかりました。この穴を作った当時の人々の痕跡がこれから明らかになってくると思われます。
(平成25年8月23日現在)
調査対象範囲の南端では、沢状の地形が見つかりました。写真では黒褐色土の部分です。詳しい時期は不明ですが、出土した陶磁器から、江戸時代以前の沢跡と考えています。遺物はほとんど出てきませんが、水が湧いてくるので、みんな泥だらけで奮闘しています。
(平成25年8月8日現在)
調査対象範囲の南側から写真中央のような溝状の陥し穴が見つかっています。縄文時代のもので、獣を捕るための罠です。単独で見つかることは少なく、重機などで表面をめくっていくと、おなじような遺構が見つかることが想定されます。
(平成25年7月25日現在)
今月より調査を開始いたしました。写真は人力による試掘を行っている状況の写真です。
(平成25年7月17日現在)
※このホームページは公益財団法人岩手県文化振興事業団埋蔵文化財センターが、調査した遺跡の情報を提供しています。 掲載されている情報の無断転載はできません。