現地説明会

中平遺跡現地公開を開催しました。

11月3日(木・祝)午前10時30分~
今年4月から調査中の野田村中平遺跡で現地公開を行いました。 現地公開資料はこちら

1

村立野田中学校の周辺に広がるこの遺跡の一部は、古代の竪穴住居が1,000年の時を経ても、埋まりきらずに窪みとして残る野田竪穴住居址群として知られており、昭和29年には県の史跡第一号として指定されたことで有名です。

今回は野田中学校の北側に小学校を建設することから昨年度に引き続き調査を行っています。

2

野田中学校グラウンドに集合し、受付で資料を受け取ります。
地元の方はもとより、県内各地からおよそ80名の方にお越しいただきました。

3

 今回の調査では、
・縄文時代早期~前期(およそ6,000年前)の集落、
・縄文時代中期~後期(およそ4,000年前)の狩場、
・平安時代(およそ1,100年前)の集落
が見つかっています。
調査員の紹介、遺跡の概要の説明の後、調査区へ向かいました。

4

まず、44棟の竪穴住居が見つかった平安時代の集落の跡からご覧いただきました。
今回の調査区の最も東側の竪穴住居です。床をはがした状態で、でこぼこですね。このままだととても住みにくそうです。竪穴を作るときは最初、このように掘りますが、この後土を入れて平らにして使っていました。
深い柱穴が4本確認できました。ここに柱を立てて、屋根を支えていたのですね。

5

次の住居です。床はまだはがしていない状態です。
この住居は一辺の長さが7mあり、これまで見つかった野田村の平安時代の住居の中で、最も大きいものだそうです。

 

6

住居の北の壁ほぼ中央にカマドが作られています。
石がたくさん残っています。カマドの焚口は粘土で作られますが、芯に石を置いて強度を高めていました。また、煙道の壁際にも石が並べられ、トンネルを作って煙を家の外に出していたようです。

7

中平遺跡では、平安時代の工房の跡も見つかっています。
近接して並んでいるこの二つの竪穴は、工房と考えられていますが、同時に存在していたのではないようです。

8

竪穴の床をご覧ください。このように(ピンポールの先)土が焼けて赤くなっています。左側の焼土はカマドの跡ですので、カマドとは別に床の上で火がたかれていたようです。
ちなみにこの竪穴は埋まった土を観察した結果、自然に埋まったのではなく、人の手で埋め戻されていたことがわかりました。

23-2

奥の竪穴の床の焼土です(反対側から見ています)。
焼土は炉と思われますが、これらの炉で何の作業が行われていたのでしょうか。
羽口(送風管)や鉄滓(鉄製品を作った時の不純物の塊)が見つかっていることから、中平遺跡では、鉄製品のメンテナンスや再利用のための鍛冶作業を行っていたことがわかりました。

22

次は丘陵頂部の遺構を見てみましょう。
この付近には縄文時代早期~前期(およそ6,000年前)の竪穴住居や縄文時代中期~後期(およぼ4,000年前)の落とし穴が見つかっています。落とし穴には、赤白のポールを立てています。平行して並んでいるところもあります。
また、平安時代の村もこちらまで広がっています。

21

カラーコーンの入った竪穴は、縄文時代早期~前期の竪穴住居です。おおむね長方形で全部で7棟ありました。平安時代の住居と異なり、カマドはありません。
写真に写っている遺構は縄文時代早期~前期の竪穴住居(カラーコーン)と中期から後期の落とし穴(赤白ポール)、平安時代の竪穴(カマド)のそれぞれ一部が重なって見つかっています。

13

説明が終わった後、近くに寄ってそれぞれの遺構を観察することができました。

参加の方からはどうしてこのような形に掘れるのですか、土の違いによるとはどういうことですか、といった質問がありました。このようなご質問にも現場だからこそ、実物を見て、わかっていただけるような説明ができます。

20

調査区内に張られたテントには、遺物が展示されています。
どんなものが見つかったのでしょうか。

15

鉄製品や鉄滓、羽口の破片などです。
鉄製品には鎌やイネの穂摘み具、紡錘車(糸を作るときに使う道具で、撚りをかけた繊維を巻き取るもの。)、刀子(ナイフ)があります。
刃物を使ったり、作ったりするには欠かせない砥石も見つかりました。

 

17-2

こちらは珍しい遺物です。
奥の黒っぽい長方形の石は石帯の破片です。もともとは正方形に近い形をしています。石帯は古代の官人が正装の時に使う腰帯の飾りです。普通の集落遺跡ではあまり見つからない貴重なもので、野田村では初めての発見です。
土玉は粘土で作った玉、スプーンのような匙形土製品も珍しいです。

18

 灰釉陶器の破片です。窯で焼かれた焼物で、東海地方産です。県内では生産されていないもので、平安時代は流通量がごく少なく、こちらも野田村初です。

 

19

土師器の坏(おわん)です。一般的にみられる土器ですが、ご覧いただいた皆さんからは
「わあ、年季が入っている、使い込まれていますね。」といった感想がありました。

平安時代の中平遺跡は、鍛冶作業を行っていた集落で、石帯や灰釉陶器など珍しいものがあることが特徴ですね。普通の村とちょっと違う、のかもしれません。

今回の現地公開では、現地で確認できる遺構だけでなく、様々な遺物もご覧いただき、当時の人々の営みを具体的に想像していただけたと思います。

今後も現地説明会、現地公開等の機会がありましたら、ぜひ現場へお越しください。

 

 

 

 

2022年11月9日掲載

※このホームページは公益財団法人岩手県文化振興事業団埋蔵文化財センターが、調査した遺跡の情報を提供しています。 掲載されている情報の無断転載はできません。

岩手県文化振興事業団 岩手県立博物館 トーサイクラッシックホール(岩手県民会館) 岩手県立美術館 いわてわんこ節電所

このページの先頭へ