現地説明会
7月21日(木)中林下遺跡現地公開を開催しました。
R4中林下遺跡現地公開資料はこちら
7月21日(木)午前10時30分から、奥州市中林下遺跡の現地公開を行いました。
連日の雨で現場が水没したこともあり、当日の天気が心配でしたが、暑すぎず、まずまずの天気でほっとしました。
参加者の皆さんには感染対策にご協力いただき、開催することができました。
遺跡の概要、調査員の紹介の後、担当調査員から調査についての説明を行いました。
まず、よくあるご質問「どうして昔の穴がわかって、その形に掘れるのですか?」にお答えして、自然の土と人為的に掘った穴に埋まった土の違いをご覧いただきました。
中林下遺跡では、昨年、一昨年に引き続き、平安時代の掘立柱建物が多く見つかっており、竪穴住居で構成される一般の集落とは明らかに違うようです。
特に今年度見つかったこの建物は、たいへん細長く、一端は調査区外(手前)に伸びているようです。柱穴の中の柱の痕跡を見ると他の建物よりもやや細いものが使われています。
人が寝起きしたり、仕事をしたりする場所や、倉庫などではなく、「うまや」の可能性も考えられます。
一方こちらは、本遺跡では珍しい、竪穴建物です。ただし、通常住居についているカマドが見当たりません。
不要の品を廃棄したと思われるごみ穴もあります。土師器の坏(調査員の手元をご覧ください)などが見つかりました。
中林下遺跡は段丘崖の下にあり、低い場所なので水につかることが多く、穴を掘ると水が溜まりやすいです。
建物の柱も水に浸かっていたために根元が腐らずに残っていることがあります。この柱穴からも・・・
およそ1、200年近くここに眠っていた柱です。昨年度までの分析結果だとクリ材が多いようです。おそらくこの柱もクリと思われます。
本遺跡では一昨年度からの調査で、12世紀後半(平泉藤原氏の時代)の遺物も、少しずつですが見つかっていました。今年度はそれに加え、この時期の遺物を伴う穴も見つかりました(皆さんの右下の穴です)。
ここから、愛知県渥美産と思われる甕の破片や、かわらけが出土しました。藤原氏に関係する人々がこの場所にいた証拠です。
この時代は参加者の皆さんの関心も高く、見つかったかわらけを平泉で見たものと比べたりして、熱心にご覧になっていました。
最後に、墨書土器や瓦の破片など、見つかった遺物をテントの下でご覧いただきました。
本遺跡は、これまでの調査でおよそ8km北にある胆沢城に関連する平安時代の施設と考えられます。
参加した方からは、
「この付近を通っていたと言われている昔の道のほかに、すぐ北側に北上川に向かって流れる大深沢川もあり、それを利用できるから、ここにこのような施設が作られたのかもしれないですね。近所に住んでいますが、昔の様子を想像するとわくわくします。」
などの感想が聞かれました。
埋蔵文化財センターでは、コロナ禍ではありますが、感染状況の許す限り、対策を講じながら発掘調査現場をご覧いただけるよう現地説明会、現地公開を開催しています。
今後も機会がありましたら、ぜひご参加ください。
2022年7月25日掲載
※このホームページは公益財団法人岩手県文化振興事業団埋蔵文化財センターが、調査した遺跡の情報を提供しています。 掲載されている情報の無断転載はできません。