イベントレポート
内田貝塚 現地説明会レポート
平成29年8月5日(土)、大船渡市にある内田貝塚で現地説明会が開かれました。この日は、午前に内田貝塚、午後に長谷堂貝塚の説明会が開かれ、いかにも沿岸の大船渡市らしく、2つの貝塚の調査成果を公開することになりました。
現在、岩手県内には約60ヶ所の貝塚がありますが、そのうち約85%が宮古市から陸前高田市の南部三陸海岸に分布しています。
内田貝塚の調査は主要地方道大船渡広田陸前高田線の改良工事に伴う緊急発掘調査で6月1日から行われています。
この日の大船渡市は、朝からの曇り空、ときどき霧雨もふるというあいにくの天気となりました。そんな中で85名もの方々が参加してくださいました。ありがとうございました。
調査事務所から発掘現場まで、うっそうとしたスギ・ツバキ・タケなどの林に囲まれた坂道を登りきるとやっと現場が見えました。現場は細浦漁港に面した海の近くにあります。今回の調査場所は標高約40mの小高い丘の頂上付近です。調査場所からは大船渡湾がのぞめます。湾口のむこうには太平洋がひろがりますが、濃い霧のために視界がひらけず、対岸の赤崎町や湾口防波堤がうっすらとのぞめるだけです。
午前11時、現地説明会がはじまりました。所長のあいさつに続いて、担当調査員から遺跡の概要についての説明です。
最初に一棟だけみつかった竪穴住居についての説明です。今から約4500年前の家の跡です。4本の大きな柱のあなと壁際のたくさんの小さな柱のあながみられます。中央には火を使った炉があります。今回の調査では一棟しかみつかっていませんが、周辺にはもっと多くの住居があったと考えられます。また、この住居の北側には、何に使ったのかはわかりませんが、大きなあな(土坑)があって、この中からもたくさんの土器や石器がみつかりました。みつかった土器の特徴から、住居は今から4500年前の縄文時代中期のもの、土坑は500年前の縄文時代前期のものと考えられます。
さて、いよいよみなさんお目当ての貝層についての説明です。貝塚の中で、貝殻や骨が堆積する層を貝層といいます。これらの貝殻や骨は縄文時代の人々が捨てたものが積み重なったものです。貝層から見つかる貝殻や魚骨・獣骨によって、当時の人々の生活環境や食生活および交易の様子をうかがい知ることができます。
一般にわが国の土壌は酸性であることが多く、獣の骨などはかんたんに分解されて、遺跡の発掘調査をしても見つかることはまれですが、貝塚では堆積した貝殻に含まれる炭酸カルシウムの作用によって分解せずに残ることがあります。内田貝塚でも貝層からたくさんの貝殻や魚の骨・動物の骨が見つかっています。なかにはマグロやイルカ、さらにはアシカの骨がふくまれているということで、どのようにしてこれらの獲物をとらえていたのか、想像がふくらみます。
調査現場のテントの中に今回の調査でみつかったものが展示されました。土器や石器だけでなく、動物の骨や角からつくられた骨角器などのほか、貝層から出土した二枚貝・巻貝の貝殻・動物の骨などです。
説明会に参加した方が「末崎は漁業の街だけれども、5000年も前からこんなに漁業が盛んだったというのは何か誇らしい気がする」と話して下さったことが印象に残りました。発掘調査に参加された人たちをはじめ、地域のみなさまのご協力がなければ、順調に調査を進めることができませんでした。ありがとうございました。調査は、まだ続きますので今後の調査情報を、ぜひホームページでご覧ください。
当日の資料はこちらから
2017年8月16日掲載
※このホームページは公益財団法人岩手県文化振興事業団埋蔵文化財センターが、調査した遺跡の情報を提供しています。 掲載されている情報の無断転載はできません。