イベントレポート
田鎖車堂前遺跡 現地説明会レポート
平成28年11月20日(日)13:00から、宮古市田鎖にある田鎖車堂前(たくさりくるまどうまえ)遺跡で、現地説明会が行われました。今回の説明会には約173名の方にご参加いただきました。本当にありがとうございました。
田鎖車堂遺跡の調査は、宮古西道路建設事業に伴い行われている緊急発掘調査で、今年で3年目を迎えます。
今年度の調査は、調査区の西側を中心とし、7,405㎡の範囲にわたって行われてきました。注目すべきは、沿岸地域では例の少ない奥州藤原氏時代(平安時代末)の遺構・遺物、特に巨大な堀跡が見つかったことです。さらに、平安時代前半には大集落があったことも明らかとなりました。
調査は引き続き12月頃まで行われる予定です。
南側から調査区全体を撮影した写真です。堀が調査区北側を取り囲んでいます。平安時代末(12世紀頃)に作られた堀跡です。
堀跡を別の角度から写した写真です。立っている人と比較すればその大きさは一目瞭然でしょう。上幅約8m、深さ約2mで、総延長は150m以上にもなります。よほどの権力者でなければこのような大工事はなしえなかったと考えられます。
堀は2か所で折れ曲がるように大きくカーブしています。ちょうど南西のコーナーの所には、土橋が確認されました(左の写真)。堀の内外を行き来するための通路です。(※昨年度調査では、南東コーナー部分に橋脚とみられる木の跡が見つかっています)
堀の断面形と埋まった土の観察から、始めは浅い堀が作られ、後にさらに深く掘りなおす再工事が行われたようです。また、堀の内側には掘った土を盛り上げ、土塁が築かれていたものと推定されます(調査員が模型を使って説明しています)。
堀の内部地区では、掘立柱建物跡(左の写真:地面にテープを貼っているところ)が見つかりました。堀と同じ12世紀頃の建物跡と考えられます。
右の写真のような竪穴住居跡(平安時代前半頃)は、堀の内外で80棟以上見つかっています。
堀跡からは、平安時代末の中国産陶磁器(青磁・白磁の碗、壺など)、国産陶器(常滑・渥美)、かわらけなどが出土しました。平泉町や紫波町など、奥州藤原氏に関連する遺跡でしか発見できない貴重な遺物です。(※平成26年度調査では、同時期の武具・馬具など鉄製品も出土しています。)
平安時代前半の竪穴住居跡からは、土師器・須恵器などの土器が多数出土しました。
当日資料は、こちらから
2016年11月25日掲載
※このホームページは公益財団法人岩手県文化振興事業団埋蔵文化財センターが、調査した遺跡の情報を提供しています。 掲載されている情報の無断転載はできません。