イベントレポート

浜川目沢田Ⅱ遺跡 現地説明会レポート

 平成2886日(土)午後1時から、山田町浜川目沢田Ⅱ(はまかわめさわだ2)遺跡で現地説明会が行われました。現場は、山田湾が一望でき、快晴の青空のもと、さわやかな風が包み込んでいるような場所でした。参加された69名の皆様、ありがとうございました。

 浜川目沢田Ⅱ遺跡は、主要地方道重茂半島線地域連携道路整備事業に伴い行われている発掘調査です。調査範囲は、13,500㎡で、そこからは約1,200年前の平安時代前半と約4,500年前の縄文時代中期の遺構が見つかっています。それぞれで見つかった遺構は、平安時代前半のものは、竪穴建物(工房跡)、土坑、縄文時代中期のものは、竪穴建物、土坑等です。縄文時代の土器や石器の出土は少量ですが、平安時代のものと考えられる様々な種類の金属製品や、製鉄に関わる羽口等が出土しました。

  山田町は、製鉄に関わる遺跡が県内でも特に多い地域です。これは、鉄を作る原料(砂鉄や木炭等)に恵まれていたことが大きな理由だと考えられます。復興工事に伴い山田町では、数多くの遺跡が調査されました。このほとんどで鉄作りに関連する痕跡が発見されています。山田町の現説では、おなじみの光景かもしれませんが、遺跡によって違いを見つけるのも楽しみのひとつではないでしょうか。

 見学にいらした方からは、「縄文時代の住居跡から見つかった複式炉(ふくしきろ)の形について、調査員の詳しい解説を聞くことができました。」また、現場の作業員の方からは、「ただの石かと思って掘っていたら立派な石組みが出てきて大きな炉になった。」と見つかった時の様子を話してくれました。

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調査範囲内には、2つの小さな山があります。そこに挟まれた谷の部分で説明会はスタート。左の山から先に上ります。今年の現場は、平坦地が少ないですね・・・。スタート地点は日陰になっていますが、この日は、県内各地で猛暑日の予報。頂上付近は、太陽の日を浴びて別世界です。

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頂上に到着。息を整え、説明に耳を傾けます。平坦な部分では、平安時代の工房跡と考えられる遺構が見つかりました。調査員が立っている所が床面です。この時代の住居と同じく、方形で、壁際に溝も作られていますので当初は住居跡と想定したようですが、肝心のカマドが無い!調査していると予想していることとは違う発見が多いものです。ここでは、床面に複数の焼土があることや、床面に作られた土坑から羽口や鉄滓が出土したことから鉄作りに関係する工房跡ではないかと考えています。

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平安時代の土坑は、縄文時代の貯蔵穴に多く見られるフラスコ状をしているものでした。底面からは、金属製品も出土しており、平安時代にはどのような使われ方をしたのでしょうか?

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次に移動するため、一度下山し、正面の山へ上ります。奥には、山田湾も見える最高のロケーション。小高い山で生活するのは、物質的な利点はもちろんですが、この景色を見たら、精神的な部分も重要であったと思えてきます。

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こちらの山には、縄文時代中期の竪穴住居跡や、土坑が見つかりました。平坦になっている尾根の部分には、たくさんの土坑や住居跡が重なるように見つかっています。穴に落ちないよう気を付けて見学します。

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縄文時代中期後半の竪穴住居跡には、複式炉という炉が備わっていました。写真の手前が床面の中心で、火を焚いていた部分(焼土)が見えます。そこには直径20㎝ほどの土器が埋められています。調査員の足元には、床面を掘り窪めて作った部分があり、石を組んだ部分が2か所、台形状に掘り窪めただけの部分1か所が、先ほどの焼土から連なり、これらが1つとなりこの住居の複式炉は構成されていました。

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 説明会のトリを飾ったこの複式炉について、参加者の方から「このような作りの炉を、当時の人はどのように使っていたのか。」という質問がありました。調査員によると、はっきりとした利用状況は解明されていないとのこと。ただ、これまでの発掘の成果や今も受け継がれる習慣などから推察すると、「焼土の部分は火を焚いた所で、煮炊きの他に住居内の灯り取りの役割がある。またそこに接する石組み内からは炭の混じる灰が出土することから、灰を貯めておく場所であったかもしれない(灰は縄文人の生活で灰汁抜き等に常用されていたから大切なもの)。」そして、台形状に掘り窪められた部分に、調査員が屈んで解説を続けます。「ここは、壁際と接し底面が硬くなっている。住人によって踏み締められた証拠。玄関としてのスペースであったという研究者も居ます。」と解説がありました。煮炊きをするお母さんが毎日の献立に頭を悩ませて座っていた場所なのでしょうか?色々と想像が膨らみます。4,500年も前の人々の生活を知るには、発掘調査で最大限の情報を得ることが大事だと改めて勉強になりました。

 

当日の資料は、こちらから。

2016年8月19日掲載

※このホームページは公益財団法人岩手県文化振興事業団埋蔵文化財センターが、調査した遺跡の情報を提供しています。 掲載されている情報の無断転載はできません。

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