イベントレポート

中平遺跡 現地説明会レポート

 平成27年10月24日(土)午後1:30から、野田村の中平遺跡(なかたいいせき)で現地説明会を開催しました。当日は天候が不安定で、風も強く雨も心配されましたが、何とか無事に終えることができました。参加された68名の皆様、ありがとうございました!

 中平遺跡は三陸沿岸道路・野田久慈道路の建設に関連して行われる、復興関連発掘調査遺跡です。これまでに数回の調査が行われており、縄文時代前期前~中葉の狩場と集落、古代・中世の集落が確認されています。今回の調査区は、縄文時代と古代の複合遺跡です。縄文時代では陥し穴状遺構が多数確認されており、狩り場だったことが伺えます。古代では、奈良・平安時代の竪穴住居跡が見つかっており、その中には火災にあって焼失した住居跡も見つかっています。

宮古から新聞を見て見学にいらした方は、「方形周溝・円形周溝が作られたことの謎に興味を持った。これは何なのだろうか?あと、竪穴住居跡に残っていたカマドの形が結構しっかり残っていて面白かった。」と話していました。

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オープニングセレモニーの後、さっそく遺跡の説明です。奈良時代の竪穴住居跡です。床がデコボコですが、これは一回床をならすために荒く掘って地面を柔らかくするためだそうで、その掘り跡をはがすとこうなります。

オープニングセレモニーの後、さっそく遺跡の説明です。これは奈良時代の竪穴住居跡です。床がデコボコですが、これは一度荒く掘って、その上に土を平らにしいてならして床を作るためで、その掘り跡をはがすとこうなります。

平安時代の竪穴住居跡のカマドです。調査のために半分切ってますが、本当は地面の中に穴を開けて建物の外に煙を出していました。昔の人の知恵ですね。

平安時代の竪穴住居跡のカマドです。調査のために半分切ってますが、本当は地面の中に穴を開けて建物の外に煙を出していました。昔の人の知恵ですね。

火災に遭って焼失した住居跡です。端の方に炭化したものがあるのが分かりますか?建材かと思われますが、カヤ状の炭化材もあり、茅葺だったのでしょうか。

火災に遭って焼失した住居跡です。端の方に黒く炭化したものがあります。建材かと思われますが、カヤ状の炭化材もあります。茅葺だったのでしょうか。

陥し穴状遺構の説明です。本当にこうしていたかは不明ですが、分かりやすく説明するためにやっています。追い込んだ動物が気付かずに踏み抜いて落ちる仕組みです。

陥し穴状遺構の説明です。本当にこうしていたかは不明だそうですが、分かりやすく説明するためにやっています。ここへ追い込まれた動物が、気付かずに踏み抜いて落ちる仕組みです。

こちらも焼失した奈良時代の住居跡ですが、そのまま逃げたのでしょうか?土器が置いてありました。中央部に見えるカマドの上側も石も残っていて、なんとなく当時のカマドの形が想像できます。

こちらも焼失した奈良時代の住居跡ですが、そのまま逃げたのでしょうか?土器が置いてありました。中央に見えるカマドの、上部の石も残っていて、なんとなく当時のカマドの形が想像できます。

方形周溝です。画面右寄りで説明している調査員の周りを溝がぐるっと囲んでいるのがお分かりでしょうか。道路の向こう側まで回っていて、20m四方の大きさです。この他に円形周溝も見つかっていますが、目的が何なのかはわかっていません。

方形周溝です。画面右寄りで説明している調査員の周りを溝がぐるっと囲んでいるのがお分かりでしょうか。道路の向こう側まで回っていて、20m四方の大きさです。この他に円形周溝も見つかっていますが、目的が何なのかはわかっていません。

○中平遺跡の現地説明会資料はこちらからダウンロードできます。

 

2015年10月27日掲載

※このホームページは公益財団法人岩手県文化振興事業団埋蔵文化財センターが、調査した遺跡の情報を提供しています。 掲載されている情報の無断転載はできません。

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