イベントレポート

力持遺跡 現地説明会レポート

平成26年11月15日(土)、普代村にある力持遺跡(ちからもちいせき)で現地説明会を開催しました。
 当日は内陸部は雪が降り、山間部では積雪になった場所もあるなどとても寒い一日でしたが、普代村は天候に恵まれ、約160名の方にご参加頂きました!たくさんのご参加ありがとうございました。

力持遺跡は、三陸沿岸道路建設事業に伴う復興関連の発掘調査です。
 平成13年(2001年)から平成15年(2003)に一度調査をしており、今回の発掘調査はこの隣接地になります。以前の調査でも大量の遺物・遺構が見つかり相当な規模の遺跡であることが分かっていましたが、今回の調査でも調査対象面積の割に、遺物・遺構がかなり大量に見つかっています。時代は縄文時代前期~中期末頃(約5,500~4,000年前)です。また、十和田湖が爆発した約5,000年前の火山灰が、厚く積もっているのが見られます。

地元から参加してくれた子供たちは、
「初めて来てみたけど、そこらじゅうに土器がちらばっていて、見つけるのが面白かった。発掘の体験とかあればやってみたい!」
と目を輝かせて、土器探しに夢中でした。

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こちらは北側調査区です。今、メジャーで測っているところが竪穴住居跡です。この住居跡は8m×8.3mの、ほぼ円形の住居のようです。

こちらは北側調査区です。今、メジャーで測っているところが竪穴住居跡です。この住居跡は8m×8.3mの、ほぼ円形の住居のようです。

これは十和田中掫火山灰(とわだちゅうせりかざんばい)という、約5,000年前に十和田湖が大爆発を起こした時に降り積もった火山灰です。かなり厚いですね!

これは十和田中掫火山灰(とわだちゅうせりかざんばい)という、約5,000年前に十和田湖が大爆発を起こした時に降り積もった火山灰の層です。かなり厚いですね!

フラスコ状土坑といわれる食糧貯蔵庫ですが、中に土器がありました。こういう例はあまりないそうで、お墓にしたのかも? 想像が広がります。

フラスコ状土坑といわれる食糧貯蔵庫ですが、中に土器がありました。こういう例はあまりないそうで、お墓にしたのかも?とのことでした。
想像が広がります。

南側調査区です。今回の調査区は768㎡と、あまり大きくないのですが、かなり大量の遺物や遺構が見つかっています。栄えていたのでしょう。

南側調査区です。今回の調査区は768㎡と、あまり大きくないのですが、かなり大量の遺物や遺構が見つかっています。

子供たちも多数参加してくれました!火山灰や埋まっていた土器に興味を持ち、いっぱい質問もしていました!

子供たちも多数参加してくれました!火山灰や埋まっていた土器に興味を持ち、いっぱい質問していました!

遺物より、4足付石皿です。珍しい石皿です。食べ物を置いてたのでしょうか?それとも儀式のお供え物をおいたのでしょうか?

遺物より、4足付石皿です。珍しい石皿です。食べ物を置いてたのでしょうか?それとも儀式のお供え物を置いたのでしょうか?

 

当日の資料はこちらから

2014年11月18日掲載

※このホームページは公益財団法人岩手県文化振興事業団埋蔵文化財センターが、調査した遺跡の情報を提供しています。 掲載されている情報の無断転載はできません。

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